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|words|こころの仕組み 《感情 本音》 感情の奥の本音に出会う



感情と、その奥のほんとうの本音と。ひとによって、また、同じひとでもテーマによって、パターンがあるかなと、見つめていました。


こちらの記事とあわせてどうぞ。感情も含めて「本音」とすることもありますし、してもよいのですが、今回は、伝えたいことに則して「感情」と「本音」を分けています。


感情で止まってしまう/本音にたどり着かない


感情を還し切れていない、とも言えるのかもしれませんが、その先にある本音「ほんとうはこうしたい」「ほんとうはこうありたい」にたどり着かないということも、あるのかなと思います。

感情のリリースは繰り返しているけれど、そこで立ち止まってしまう。もしくは、感情が本音だと思っている。

感情の先に、ほんとうの本音があるのだということ。例えば「かなしい」「さみしい」「つらい」「どうして?」の先にある、「ほんとうはこうありたい」。

「ほんとうはこうしてほしい」と他者に向くものも、自身の「こうありたい」に還元されるものです。

もう一歩踏み込んで見てみるとき、ほんとうの本音が見えてくるはずです。そして、本音が見えてくるとき、残っていた感情も安心して還ってゆくのだろうと思います。



感情を無視してしまう/本音(だと思いたいこと)へジャンプしてしまう


悲しみ、寂しさ、怒りなどは感じない方がいい、ポジティブであるべきだ、というような思考が強い場合。

そこにすでに生じている、ネガティブとラベリングされることもある感情を無視して、思考の思い描く「本音(だと思いたいこと)」へジャンプしてしまうこともあります。

ポジティブ/ネガティブというのも、本来的には良し悪しではなく、性質の違いを指すものですし、感じてはいけない感情は本来はないのです。

バイパスしている感情は、生じているのなら、やっぱりそこにあって、主張を続けます。ここではその感情に寄り添って、その感情を聞いてあげる、その感情を感じてあげることが、自身を大切にすること。

そして、感情を感じて還したその先で、それ以前に「考えて」いたのとは少し違う、場合によっては大きく違う「本音」と出会うこと、多々あるのです。



本音を否定してしまう/感情の領域に戻ってしまう


「ほんとうはこうありたい」というその本音を、「それではいけない」「そんなことは無理だ」と否定している場合。

「こうしたい/こうありたい」とアタマでは考えながら実際には採用していない/否定してしまっていることもあるでしょうし、その考えすら封印していることもあるのかもしれません。

そんなとき、ほんとうはもうこれ以上「その感情を感じる」必要はないものの、感情の領域をループしてしまうこともあるようです。

結果として、ひとつ目の「感情の領域で立ち止まる」場合もあるでしょうし、ふたつ目の「本音だと思いたいことにジャンプしてしまう」場合もあるのかもしれません。


(その時点で)「そんなことできるのかな」「そんなふうになれない」「あれがこうでこれがこうだから無理」などと考えられるとしても。


「うんうん、そうありたいんだね、そうだよね」とひとまず受け入れてゆく、寄り添ってゆく。ここではこうすることが、自身を大切にすること。


そうすると、すーっと流れてゆくはずです。


その先で、そのあたらしいあなたで。


「こうありたい」という本音の、そのエッセンスの部分を汲み取るのなら、思いの外シンプルなのです。同時に、大切なのはそのエッセンスの部分。

その時点で、その場で、採用できること、自身に対して叶えてあげられること、そのあり方を取り入れるということ、ちいさなひとつであっても、必ずあるはずです。

そのひとつひとつをすくって、叶えてゆく/叶えてあげる。あらわしてゆく、自身に贈ってゆく、誰かに届けてゆく、「世界」にひろげてゆく。


その先で、そのさらにあたらしいあなたで。


かつてたどりつくのが難しそうに思えた状態/状況に、いつの間にか近づいていることも、また、たどりつくのが難しそうに思えた状態/状況が自然な流れで展開していることも、きっとあるはずです。




やさしい世界をつくる、ひとつひとつ。やさしい魔法を、自身の手で、自身の日々に。


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