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モノにも心が宿っている

部屋のレイアウト変えをしたら、またいろんなアイテムを発掘した。
隅っこのほうから「あ!これは…」という思い出深い品々。その中で、ミシンの椅子を見つけた時はひときわうれしくて、ずるずると引きずり出して今復活してリビングに鎮座している。何十年ぶりだろうか。日の目をみるの。

その四角い椅子は、足踏みミシンと一体化して仕舞える代物だった。本体のミシンはいつの頃か廃棄されてしまってもうないのだけれど、椅子だけは救出されて今まで物入の中で眠っていた。今はもうほとんど見ないデザインで四角く安定感があり、箱型の椅子のところを開けるとポケットみたいに物入になっている。ここに小さな糸などを仕舞える仕様になっていたのだと思う。

何よりも奇遇だと感じたことは、ちょうどもう傷んで使わなくなった椅子を処分する手配をしたところで、この小さなミシンの椅子を見つけた。この巡り巡ってのモノとの再会は奇跡だとしても、モノにも心があるのではないかと感じる。断捨離することが美徳のように取り上げられ、モノがないスッキリした部屋がカッコよく見えるけれど、私自身は母が大切にしていたもの、母が馴染んでいたものを不要だからといって破棄することができずにズルズルときた。そんなわけで我が家は割と混沌としたものが溢れているし、図工教室に通うようになって作る楽しさが再燃して、仕舞いこんでいた毛糸なども活用してやっぱり捨てずにいてよかった…などと、ひとりほくそ笑む。

やっと日の目を見ることができたモノたちも、人の目に触れ、モノとして活用されて本領発揮している。ほらね。昭和の僕らだって、まだまだ動けますよ!とでもつぶやいているように。これまで離れていた分を詫びつつ、せめて毎日愛用しよう。


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