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無限の猿言葉-動詞の連用形が名詞になるやつ。あと受動態

日本語では、動詞の連用形が一般名詞になることがある。

例えば、「つかみ」などだ。

漫才などの開始際のくだりを指す「つかみ」は「つかむ(マ行五段)」の連用形が名詞として定着したものと捉えられる。

これはとても良い表現だ。あの一時を「心を掴む時間」として捉えるのが粋だし、納得感も強いし、第一印象も玄人っぽくてカッコイイ。

他には、「つなぐ(ガ行五段)」の連用形の「つなぎ」などもイケている。ハンバーグ等において、各種具材を「繋ぎ合わせる点」に注目するのがなかなか渋いし、しっくりくる。

一方で、全然しっくりこない名詞化も当然ある。
今回は、それらを紹介するので一緒に楽しんでいただきたい。また、最後にそれらについて少し考察したい。ぜひお楽しみください。

まず、納得感が弱いものとして「ハサミ」が挙げられる。

これは一目瞭然である。ハサミは切断する道具であり、何かを挟むために使うことはほとんどない。あまりにもナンセンスだ。「はさみ」はハンバーガーのバンズにでも譲ってあげて、お前は「切り」とでも名乗っておくのがいい。

ん、待てよ。「きり」といえば。

あの穴あける道具。錐。お前は「あけ」とか「つらぬき」とかの方が良いだろ。「きり」はハサミに譲ってあげなさい。まったく…

さて、「ハサミ」は本当にナンセンスなヤツだが、"動詞の連用形が名詞されたもの界隈"にはそれ以上に大きな問題がある。

いくつか例を挙げる。
「鰹のたたき」「関取が着けるまわし」「大根おろし」「作業員の着るつなぎ」

これらはそれぞれ、「たたかれ」「まわされ」「おろされ」「つながれ」と受動態で表されるのが自然に思われる。鰹のたたきは叩かれた食材である。これは大きな問題だし、こんな例が大量に出てくるのである。

思うに、日本人は受動と能動の識別が曖昧である。「大根おろし」のような名詞が定着することからもそう思われるし、他にもこれらの例を見てほしい。

「ハッシュポテト」「ロールキャベツ」「カットフルーツ」

これらは「ハッシュド」「ロールド」「カッティド」とされるのが適切である。キャベツは巻かれているだけなのだから。(cutの過去分詞形はcutであるから、カットフルーツは正しい。引っ掛け問題だ)

多くの日本人が「ロールキャベツ」のような表現を許容できることからも、日本人は受動と能動をあまりハッキリ区別しないことが伺えるかもしれない。

さて、今回はナンセンスな名詞化を紹介して終わろうと思っていたのだが、「能動の曖昧さ」という意外な繋がりを見つけて考察が捗ってしまい、まとめを書かねばならなくなってしまった。大学のリアクションペーパーを書くような気分だ。

今回あげた2つの例より、我々が第1外国語を勉強する際に、能動態を受け入れるのに多くのカロリーを消費することは仕方がないことなのかもしれないと感じた。己の世界の見方を、「許容できる言葉」という部分から考察することは楽しい。この投稿を経て大学で第二外国語を勉強するモチベーションが少し高まった気がする。

うーん。大学生っぽいしすごくバカっぽい。毎授業に学びなんてある訳ないのに、無理やり学びを見出している感じがして苦しい。

私が思ったのはそんなことじゃない。「どっちも受動態ミスってる〜。日本語ダメダメだな〜。粗探し楽しいな〜」こんな程度だ。

自分の楽しみのために、明日も粗探しをしよう。

これをもって「締め」としたい。

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