精神病院に居た日々

私は十代の半分を精神病院で過ごした。
この頃の記憶と言えば二重の鉄の扉と格子の嵌められた窓、病院内の綺麗に整えられた中庭、老人からするような据えた臭い。
刃物も薬も取り上げられ、病院の中に居る私は不自然なまでに普通だった。
精神病院の中では発狂して奇声をあげる患者は珍しくない。
一人奇声を上げはじめれば、呼応するように他の患者も発狂し始める。
奇声を上げたり、壁に頭を打ち付け出したり、狭い院内を走り出したり。
そんな風におかしくなる人達の中で、私は凄く冷めた気持ちで居た。
手が回らない看護師達の代わりに患者を宥めたりする程度には普通だった。
いや、普通であったというよりは、叫び出す気力も、頭を打ち付ける気力もなかった。
大好きな読書をしようとするも、薬で溶かされた脳味噌では理解することも難しく、日がな一日ぼんやり過ごしていた。

ワークショップで折紙や機織りなんかをしている自分が滑稽で
夕食後にコップを手にぞろぞろと並んでいる自分が滑稽で
化粧もせずパジャマ姿のまま一日を過ごす自分が滑稽で
大嫌いだった。

かと言って退院は社会復帰の証ではない。
死にはしないだろうと追い出されただけに過ぎず、外に居ても中に居ても私は異物だった。
三ヶ月外で過ごし、外で息苦しさを感じ、また入院を繰り返す。そんな十代だった。

沢山の病院を転々とした私は、そこで色んな人を見た。でもあまり記憶にない。薬で考える事を制御されていたから。
まして私の病気は事実を自分の都合の良いように捻じ曲げてしまうものでもあったから、私の記憶にあるものが本当に正しいのかどうかすら自信がない。
だから今の私の都合の良いように思い出を美化させてしまうならば、当時の私にとってあそこは地獄であったが、今の私にとっては天国だ。
何故って、あそこは他人に関心のある人間が居ない。
みんな自分の事でいっぱいいっぱいで、自分の内側の事しか考えていない。
誰がどれだけおかしくても干渉もしないし感慨もない。
とても閉鎖された空間だ。

入浴が二日に一回、或いは三日に一回しかないのは辛かったが、気持ち悪い時は洗面所で無理やり頭を洗った。
楽しかったとはとても言えないが、友達が出来ないこともなかった。
それなりにご飯は美味しい。
何より余計な事は考えなくていい。ただ起きてご飯を食べて寝てればいい。
精神病院に入院させるのはそれなりにお金がかかる筈だから、見方によれば愛されている人間のみが居られる場所だ。

断っておくが、今だって精神病患者じゃなくなった訳ではない。
でも今は普通に会社に行き、友人等と遊んで、なんとなく日々を生きている。
私がそうなったのには二つ、大きな理由がある。

一つは本当に一度、死にかけたから。
二ヶ月くらい意識が戻らなかった。この頃のこともあまり記憶にない。
意識が戻った時は苦しくて痛くて死んでしまいそうで、その時に私は「死にたくない」と思った。
死にたくないと思ったせいで、自分で死を選べなくなった。
毎回本気で死にたいと思ってあらゆる手段をとってきた訳だけど、失敗したらこうなるという事を知れば怖くて安易な事は出来ようがない。
ちょっとした後遺症しか残らなかったから良かったものの、致命的な後遺症が残った状態で死に切れなかったら?と思えば恐ろしい。
それで私は、どんなに辛くても生きるしかないのだと知った。

もう一つは、最後に入院した病院での女医の言葉だ。
今までの先生は全員
「頑張って治しましょうね」
と私に言った。
治すってなんだろう、と当時の私は思った。
先生達の言葉は全くピンと来なかった。今聞いてもピンと来ない。
どうなれば治ったと言えるのか、どうすれば治っているのか。

働く事もできた。続かなかったけど。
友達もいた。居なくなったけど。
彼氏もいた。居なくなったけど。
とりあえず普通の人がやっているであろうことはしていた。
でも治っていなかったし、ずっと空虚を抱えていた。

でも最後の女医だけは違った。
「貴方の病気は治りません」
あっさりとそう言った。
「病気じゃなくて、考え方が捻れているから治しようがないんです」
「貴方が社会でやっていくという事は、自分の考え方を捻じ曲げて、押し殺し続けるという事です」
「このままでは社会でやっていくのは難しいでしょう」
「でもこれは普通の人でもあることです。なんとなく自分を社会の枠に当て嵌めて生きているんです」
「多分辛いと思います。一生辛いです。でもそうしなくちゃならないから、少しづつ普通の人の振りができるようになりましょう」
そんなような事を言われた。

冷酷に告げられたその言葉は、とても私の心には響いた。
親はどうにか娘を正常に戻そうと、それはそれは色んな先生を探してくれた。
有名な先生にも診てもらったし、入るのに何ヶ月も待たないといけない病院にも入院させてくれた。
大体の先生が優しくて、私の味方をしてくれた。
でも私を救ってくれたのは、救急で入った都内某所の、性格がキツい、若い女の先生だった。

最近、精神病患者はとても多くなった。
口に出せるようになってきたのもあるし、昔ほど恥ずかしいものでもなくなった。
鬱も精神科も随分身近になった。
入院してる人は居ないまでも、通院している、していた人は私の周りにも沢山いる。

よく精神病患者に「頑張れ」と言ってはいけないと言うけど、「治った」も言わないで欲しい。
調子が良い時もあれば、悪くなる時もある。
少し良くなったと思ったら振り出しに戻るなんて事ばかりで、一年二年でどうにかなるものではない。
周りが大変なのは重々承知な上で言うが、無理に治そうとしないで欲しい。
少なくとも、治ってない私だって、騙し騙しで生きている。
治らないといけないと言うならば、今すぐ死ぬしかないんだ、みんな。

余談。
精神病患者でいる事に甘えている人間も存在するが、それはまた別のお話。

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