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【童話】山梨レストランの夏・中

裏山の中腹にあるという山梨レストランに行くには、草木が生い茂る山の中の道をのぼっていかなくてはなりませんでした。どこもかしこも草いきれの匂いに満ちた、初夏の山道は、さまざまな色の緑であふれています。枯葉やごろごろした石を踏み分け、うさぎの後についてえっちらおっちら坂道をのぼっていた浩太は、前を歩くうさぎに声をかけました。

「ねえ…まだ着かないの」
「もう少しです」

うさぎは振り返ってそう言うと、耳をゆらしながら浩太に話しかけました。

「では、到着するまでのあいだ、わが山梨レストランについて少々ご説明しましょう。ただ歩いているだけでは、退屈してしまうようですしね」

浩太の胸のうちを見透かしたようにそう言うと、うさぎは語り始めました。

「山梨レストランは、店主の料理人が一人、ウェイターが一人の小さなレストランです」
「ふぅん」

「店主は、多少へんくつで、人見知りですが、料理の腕はたしかです。店主はずっと子供の頃から山に住んでいましてね、この山の恵みを、いっぱいに受けて育ったんです。だから、この山に少しでも恩返しがしたいということで、山に住む動物たちがいつでも気軽に食べにこられるレストランをつくろうと考えたんですよ。そこで、昔馴染みの私に声をかけ、ウェイターとして雇って、二人三脚でレストランを始めたんです」

「へぇ…すごいね」
「最初は客足も伸びませんでしたが、そのうちに口こみで評判が広がり、いまではこの山一番の人気店です。といっても、この山にレストランはひとつしかないんですがね。まあいわば、評判は上々、ということですよ」

うさぎの話を聞きながら山道を歩きつづけて、どのくらいたったでしょう。もういくつめかわからない石段をのぼりきった浩太は、目の前に広がる風景にはっと息をのみました。

開けた草地が現れ、そこには小さなログハウスが、こぢんまりとそこに建っていたのです。オレンジ色の屋根に、一面白く塗られた壁。壁には、青いツユクサの絵が綺麗に描かれていました。

「さあ着きました。ここが山梨レストランですよ」

うさぎはぴょんと軽快にはねて、ドアを開けました。チリンチリンとカウベルが鳴り、客の訪れを知らせます。

浩太は、きょろきょろしながら、お店の中に一歩足を踏み入れました。店内には真っ白なクロスがかかったテーブルが全部で六つあり、カウンター席もありました。床は掃き清められてぴかぴかで、壁には果物を描いた落ち着いたトーンの絵がかかっています。ただ、お客は誰一人としてまだいないようでした。

「僕一人?」
「あなたは今日の特別ゲストですからね。皆さんが来て、にぎやかでせわしなくなる前に、お呼びしたんです。さあ、真ん中の席に座って」

席に腰を下ろした啓太は、クロスの上に深緑のメニュー表があるのを見つけました。それを開いてみると、そこにはたった一行、こう書かれていました。

『山梨レストラン 一周年記念 特別ランチコース』

「これ…を注文すればいいの?」

浩太が聞くと、うさぎはふんふんとうなずいて言いました。

「はい、今日だけは特別仕様のメニューコースになっております。店主が腕を振るったコース料理ですので、ぜひそれを注文していただければと」

そこで浩太は、大事なことに気がつきました。

「あ…僕、今日、300円しか持ってない」

「御代は結構です。あなたは本日の特別ゲスト様ですので。では私は、あなたがいらっしゃったことを店主にお伝えしてきます。店主はご挨拶したいとおっしゃってましたから」

「呼びに来る必要はない」

澄んだ鈴のようなかわいらしい声が、浩太の耳元で突然聞こえ、浩太は驚くあまりに椅子から落ちそうになりました。浩太が座っているテーブルの隣に、いつ現れたのか、一人の少女が立っていたのです。

少女は腰まである長い黒髪を背中でひとつにたばね、さっき歩いてくる途中に見た初夏の木々の緑とおんなじ色の薄緑のワンピースを着ていました。背丈は浩太よりもちょっと高いくらいで、年齢は10歳の浩太といくつも違わないくらいに見えました。

うさぎはうやうやしく頭を少女に向かって下げ、言いました。

「山姫様。お客をお連れして参りました」

浩太はうさぎが少女をそう呼んだ耳慣れない言葉を口の中で繰り返しました。

「やまひめ…さま?」

少女は少し微笑み、浩太に言いました。

「私をそう呼ぶものもいるが、ただの店主でかまわない。今日は遠いところ、よく来てくれたの」

柔らかな店主の言葉に、浩太はただただ緊張してしまって、そっと頭を下げました。

「山梨レストランは、普段は山の動物たちにしか料理をふるまっていないのだが、今日はなんといっても店を始めてから一年目の記念日なのじゃ。そこで、人の子にも、山の恵みで私がつくった一皿を、食べてもらいたいと思ってな。それでうさぎに無理を言って、そなたを探してきてもらったのだよ」

「ありがとう…ございます。楽しみです」

浩太がそう言うと、店主はふっと口の端に笑いを浮かべると「楽しんでいっておくれ」と一言告げたとたん、すうっとその姿をかき消してしまいました。後にほんのりと、山の緑の匂いだけが、彼女が消えた後に残っていました。

浩太はもう、目をまるくするばかりで、言葉もありません。うさぎはそんな浩太を見て、言いました。

「山姫様…いやいや店主は、普段はこれほど人の子とお話なされないのですよ。とても、人見知りで恥ずかしがりの方なので。あなたを一目見て、お気に入りになったのでしょうね」

(気に入られた…のかな?)

そう思うと、なんだか嬉しいものがありました。浩太が、頬をゆるめていると、うさぎは「では少々お待ちください」と言って、レストランの奥の厨房へと、下がっていきました。

一人きりになった浩太は、改めて、不思議なことがおきたものだなあと考えこみました。

(うさぎが喋っただけでも驚きなのに、あの女の子はいったいなんだ? ふうっと姿がいきなり現れて、それで、いきなり消えちゃったんだぞ? 人間の姿はしていたけど、人間じゃないみたいだ。ひょっとしたら、この山に住む、おばけなのかもしれないなあ…)

そんなことを考えながら、浩太がぼんやりしていると、やがてうさぎが、しずしずと厨房から、一皿目を運んできました。コトリと音をたてて浩太の前に置かれたのは、透明なガラスの器に盛られた青みがかったゼリーでした。真っ白なクリームが上にかかっています。

「夏空に入道雲のゼリーでございます」

たしかにこの食べ物は、藍ほどにも青い夏の暑い日の空と、そこにわきたつ大きな入道雲を思わせました。浩太は目を輝かせ、そっとスプーンでゼリーとクリームを一緒にすくいとると、口に運びました。

「…おいしい」

浩太の口の中は、夏のおひさまの匂いでいっぱいになりました。甘じょっぱいような不思議な味の食べ物なのですが、とびきり良い風味をしているのです。うさぎは、浩太の食べる様子を満足げに見守ると、厨房へまた戻って、二皿目を運んできました。

「7種の青葉のサラダでございます」

浩太の前に置かれたその皿には、いくつもの種類の緑の葉っぱが重なり合い、上にはとろりとした黄色いドレッシングがかかっていました。フォークでつきさして、一口口に入れたとたんに、浩太の口の中は夏真っ盛りの山の緑の匂いであふれました。ドレッシングは、すこしぴりりと辛く、葉っぱの風味をひきたてています。浩太は、ものも言わずに、食べ進んでいきました。

つぎにうさぎが運んできたのは、とろりとあたたかなオレンジ色をした、スープの皿でした。

「夕日の最後の光を集めたスープでございます」

ついてきた大きな木のスプーンで、口に含んだとたん、浩太はなんだか泣きたいような気持ちになりました。一日の終わりに、ほっとひと息ついたような、今日が終わっていくのがなんだかさみしいような、でもどこかほんのり懐かしくもある味でした。うさぎはそんな浩太の様子を見て、耳をぱたぱたさせると、言いました。

「おつぎはメインディッシュですよ」

厨房に下がったうさぎは、しばらくすると大きな皿を抱えて戻ってきました。皿の上には、丸い黄金色のパイが載っていました。

「山のごちそうパイです。山鳥と、木の実と、ハーブが入っていますよ」

ほかほかと湯気を立てるパイに、さっくりとナイフを入れると、浩太はやけどしそうなほど熱いパイを、口に入れました。鳥のうまみと、木の実の香ばしさと、ハーブの良い香りが口いっぱいに駆け巡ると、浩太はとても幸せな気持ちになりました。

最後にうさぎが、もってきたのはデザートでした。黒い陶器の器に、薄いピンクやクリーム色や黄緑色のシャリシャリしたものが、きらきら光りながら盛り付けられていました。

「星くずのシャーベットでございます」

浩太は、目をまるくしてしばらくそのデザートに見入っていました。なんだか、食べるのがもったいないような気がします。それでも、ほうっておいたら溶けてしまう、と思って、浩太は小さなティースプーンでシャーベットをすくい、口の中に入れました。シャーベットは淡く冷たく、口の中でプチン、パチンとはじけながら溶けていきます。すっきりとした甘さが、とてもおいしいデザートでした。


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