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【愛読本紹介】島本理生さんの作品のこと

島本理生さんの作品を愛読している。ヒット作「ナラタージュ」に始まり、「アンダスタンド・メイビー」「あられもない祈り」という話題作に続いての最新作「red」に置いても、彼女の作品には一貫してひとつのテーマが通奏低音のように流れている。


彼女の作品の主人公の女性たちは、人に救いの手をさしのべつつも、同時に「私を救って」と、切実に祈っている。他者を救いたい気持ち。自分が救われたい気持ち。その両者にひどく共感しながら、私はいつも作品を読み進める。
つないだ手と手は、いまにもほどけてしまいそうで、こんな弱い絆しかもてないのに、主人公はバカみたいなひたむきさで、思慕する相手に向き合っていく。


「年上の男の人に守られる恋」という女の子ならだれでも一度は憧れそうなシチュエーションを下敷きにしながら、最後は、だいたい、二人は別れてしまう。男の人への多大な期待と、淡い恋は、夢破れて終わる。


守ってほしい、と祈り続ける女の子から、だいたいの男性が、つないでいた手を先に離してしまう。重いから。ひたむきさが、怖いから。期待は、あきらめや絶望に替わり、一度は離れるが、もう一度二人が出会うとき、今度は別の関係性を築きはじめる。恋にとどまらない、やわらかで友情のような関係性を。


島本さんの作品で、どうしてここで主人公がこういう行動をとるのかわからない、という話を、本を勧めた何人もの女性から聞くことがある。


なぜ危ないとわかる男についていってしまうのか。なぜこんなダメ男を見捨てられないのか。殴られた相手を、決定的に憎めないのはどうしてか。私が思うのは、良識・常識的な理解では、島本作品に置いての恋に置ける行動を説明できないのだ。


たぶん、自分が救いを求める気持ち、ひとを救ってあげたいと思う気持ちが、島本作品ではとても過剰なのだと思う。裏切られるのがわかっても、それでも人に強く期待してしまう、目の前のひとから逃げないといけないとわかっても、どうしても、もう少しそばにいてあげたいと思ってしまう。


こういう恋は、きっと、だめな恋だと、世間から言われるだろう。自分を満たして、もっとまともな男とつきあいなさいと。そういう判断をしなさいと。でも、それができないのだ。


人は、人を救うなんて最終的にはできない。それは自明の理だ。それでも、救いたい、救われたい、という強い願いから、手を差し伸べあう二人を、島本さんは描いている。その手はすれ違い、手をつなぎあえたとしても一瞬で、二人の手はまた離れてしまうだろう。それでも、てのひらに残る体温の、一瞬の温かさを、人は忘れないでいることができると思う。

そんなことを考えながら、私は島本作品を読んでいる。ちなみに私の二大愛読作は「波打ち際の蛍」と「よだかの片思い」です。おすすめ!

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