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【童話】山梨レストランの夏・下

最後のひとさじを食べてしまうと、浩太はふーっと息をつきました。なんだか、食べている間中、夢の中にいるような気分でした。

そばに立っていたうさぎが、浩太に声をかけました。

「いかがでしたか?」
「うん…、すごく、すごく、おいしかった」
「それはよかった。店主もお喜びになります」

浩太はふと思い立って、うさぎに声をかけました。

「あの…店主さんに、山姫様に、お礼が言いたいんだけど……」

うさぎは目を細めて笑うと、厨房のほうへ向かって「山姫様」と声をかけました。すると、ふうっと、また緑の匂いが浩太の前で香ると、少女が姿を現しました。

「山梨レストランのランチは、どうじゃったかの?」

そう言って、ふっと微笑んだ山姫様に向かって、浩太は頬を赤くしていいました。

「あ、ありがとうございましたっ! こんなに美味しいお料理を初めて食べました」
「喜んでもらえたのならよかった」

そう言った山姫様に、浩太は言いました。

「僕、このお料理のお礼がしたいです。御代は結構だって、さっきうさぎさんから言われたけれど、僕になにかできることがあったら……」


浩太がそう言うと、山姫様の顔にほんのり赤みがさして嬉しそうに見えました。浩太は(何かないか?)と思って右ポケットをさぐりました。そこにあるのは百円玉が三枚です。今度は左ポケットをさぐって見ました。何か入っています。とりだしてみると、銀色のハーモニカでした。

「あの、僕、おじいちゃんからハーモニカときどき習ってて、結構得意なんです。お礼に曲を吹いてもいいですか?」

山姫様とうさぎは顔を見合わせてにっこりすると、浩太に向かってぱちぱちと拍手をしました。浩太はちょっと照れくさい思いをしましたが、気を取り直してハーモニカを口にあてました。さあ、なんの曲がいいでしょう。

浩太が吹きはじめたのは「かっこう」でした。これは浩太が一番初めに吹けるようになった曲です。浩太の演奏に合わせて、山姫様が鈴を鳴らしたような声で歌い始めました。

浩太のハーモニカの音と、山姫様の歌声は、きれいに重なって、レストランの外まで、夏の山の中を、響いていきました。一緒に音と声を合わせるのがあまりに心地よいので、浩太は夢中になって何度も何度も「かっこう」を繰り返して吹きました。山姫様も、となりで嬉しそうに微笑むと、最初の出だしから歌いはじめてくれるのでした。うさぎが途中で立っていって、レストランのドアを開けたことに、二人とも、全然気づきませんでした。

二人で呼吸をそろえて合奏を終えたとき、われんばかりの拍手に包まれて浩太はびっくりしました。いつのまにか、店内は、二人の演奏と歌に耳をかたむける動物たちで満席になっていたのです。くまの親子が、目を細めて笑っていました。ねずみが三匹、小さな体を寄せ合って、懸命に手をたたいていました。なまいきそうな狐が、浩太に向かってぱちんとウインクしました。ほかにも、たぬきやら、テンやら、鹿やら、いのししやら、たくさんの動物たちが、二人に向かって手をたたいていました。

山姫様は、皆の前に一歩進み出ると、ほがらかな声で言いました。

「みな、今日はよく集まってくれた。今日は山梨レストランが開店して一周年。ここまで来られたのも、みながいつもこの店によく通ってきてくれるからだと、私もうさぎも感謝している。今日のために、特別ランチコースを準備した。これからふるまおうと思うので、みなで楽しんでほしい。一足先に、今日の特別ゲストである人の子に、食べてもらったのだが、とても美味しいと言ってくれた。みなも、存分に楽しんでおくれ」

山姫様の優しい声につられて、浩太も口を出しました。

「あの、本当においしかったです。みなさんも、ぜひ楽しく食べてください!」

それから、山梨レストランの中は、大騒ぎになりました。山姫様とうさぎの手伝いをして、浩太もさっきのランチコースの皿を動物たち一匹一匹のテーブルへと運びました。陽気なお喋りと、「おいしい」「うまい」という声があちこちでする店内は、笑顔であふれ、誰もかれも幸せそうでした。こうして楽しい飲めや歌えのパーティの時間は、あっという間に過ぎていきました。

お客たちが一人、また一人と手をふりながらレストランを出て行く時間になって、浩太ははっとして窓の外を見ました。夕暮れのうす赤い雲が、空いっぱいに広がっていました。浩太は厨房で忙しそうに片付けをしている山姫様とうさぎのところへ行くと、ちょっとためらってから声をかけました。

「僕…そろそろ帰らなきゃいけないみたいです」

山姫様はあわてて振り返り、浩太の顔を見ると、少し申し訳なさそうな顔をしていいました。

「だいぶ長い時間、ひきとめてしまったみたいじゃの。うさぎよ、そろそろ浩太を送っていってやりなさい」

山姫様は、浩太の名前を覚えてくれたようでした。うさぎも、耳をぱたりとたれて、浩太に言いました。

「夕方までに帰らせるという約束でしたのに、これはいけないことをしました。急いで帰らないと、日が暮れてしまいますね」

山姫様は眉を寄せて、うさぎに言いました。

「今から歩いて山を降りていたのでは、町につく頃には真っ暗になってしまう。こういうときは…そうだ、つむじ風に乗っていこう」
「つむじ風?」

浩太が首をかしげると、山姫様はうさぎと浩太を連れて、レストランの外に出ました。

山姫様は夕暮れの赤い空に向かって、両手を伸ばして叫びました。

「夏の風、夏の風、ここへ来ておくれ。私たちを町まで連れて行っておくれ」

とたんに、ごうっと山のさらに高いところからうなりが聞こえ、夏草と木々をざわめかせて大きな風が、三人の周りをぐるぐると回り始めました。

「さあ、ゆくよ。手をとって」

山姫様はそう言って、浩太の右手を握りました。反対側の左手には、うさぎがしっかりとつかまりました。

山姫様がヒューッと口笛を鳴らすと、周りをぐるぐる回っていた風は、一気に強まり、三人を夏の夕空へと巻き上げました。あっという間に、山梨レストランと、それを囲む夏の裏山が、小さくなっていきます。ぐんぐんと三人は風に乗って、山のほうから町のほうへと、一気に移動していきました。

浩太が最初に隠れていた運動公園が見えてきたところで、うさぎが言いました。

「このへんで降りましょう。夏の風、私たちを、地面へ」

うさぎの言葉が聞こえたのか、強い風はだんだん高度を落とし、三人は公園のツツジのそばの片隅に降り立ちました。山姫様が、浩太に言いました。

「浩太。今日は来てくれてありがとう。私は、とても楽しかった」
 浩太は、胸がいっぱいになりながら言いました。
「山姫様。僕をレストランに呼んでくれてありがとう。今日のこと、ずっと忘れないよ」
「ああ」

そのとき浩太の耳に、遠くから、浩太の名前を口々に呼ぶ声が聞こえてきました。

けんちゃんの声です。それから、かくれんぼをしていたみんなが、浩太の名前を呼びながら、こっちへ向かってきているようです。

「ほら、みなが呼んでいるよ。早く行ってあげなさい」

山姫様とうさぎの優しい目と向き合った浩太は、大きく手を振っていいました。

「またね! また遊びに行くね!」

そう言ったとたん、二人はやわらかく笑って、浩太と同じように手を振り返し、すうっとまた緑の気配がして、その姿は風の中に溶けて消えていきました。

ぼうっとそのまま浩太はしばらく立ちつくしていましたが、背中をどんっと叩かれて、振り向きました。けんちゃんが、みんなが、そこにいました。浩太を探しにきてくれたのです。

「こうちゃん、どこに隠れてたんだよ。ずっと探してたんだぞ」
「ごめんごめん、ちょっと、友達に会って、一緒に遊んでた」
「友達に? 誰だよ、それ。まあいいや、帰ろうよ」

そんなけんちゃんに向かってちょっと笑うと、浩太は夕日の光に染まる裏山を眺めました。そろそろ一番星が出る時間でしょうか。

(山の緑も夕暮れの空も、気づかなかっただけでこんなにきれいだったんだなあ)

今日一日の楽しかったことを、そっと胸のうちで転がしながら、浩太はけんちゃんたちの背中を追いかけながら、家へと帰る公園通りの道を歩き始めたのでした。

(了)

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