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【短編小説】トウサク

【盗作】
 他人の作品の全部、または一部をそのまま無断で使うこと。また、その作品。(大辞泉より)





 「この21世紀に執筆活動を鉛筆を使ってしている文筆家は、段々肩身が狭くなってきている。
 しかし、私の創作活動はいつだってこの鉛筆から始まっていた。
 400字詰めの原稿用紙が私の世界、HBの鉛筆が私の人生そのものなのだーーーーー。」



 最初の一文で読者を惹きつけようとしすぎて、意味がありそうでないことしか書いてない。
 このあとも大して面白い展開になりそうにないし。
 こういう奴は、大抵実際会って話してみても大言壮語を口にして、話の中身はあるようで、全くない。
 タイトルは面白そうだったのに、もったいないな。
 でもまあ、これはなし。

 咥えていたタバコを灰皿に押し付けて火を消し、時計を見やる。
 午後7時58分。
 もうこんな時間か。 
 昼飯を食べてからずっと携帯の画面と睨めっこをしていたせいで、肩も首も少し動かすたびに悲鳴を上げる。
 今日はこの辺にして、少し休もうか。
 しかし、今週中にプロットくらいは上げないと香川さんの嫌味を小一時間聞かなければならない。
 全く、香川さんといい、前任の…えーっと、あの人の名前はなんだっけ、まあ、どこの会社の編集者も揃いも揃って面倒な奴らばかりだ。
 締切から何としても逃げようとする作家達を組み伏すために、入社面接のときにとびきり皮肉屋で嫌味な奴を選んでいるに違いない。
 ーあっと、それちょっと面白いな、メモしておこう。
 何時間も携帯の画面を見たあとなのに、僕は懲りずに携帯のロックを解除し、メモアプリに「文芸雑誌編集者の悲喜」と入力する。
 こんな作品書いたら、きっと香川さんは嫌な顔をするに違いない。
 でも、これが万一ベストセラーにでもなったとき、どんな顔をするんだろう。
 香川さんのへつらった顔を想像したら、少し溜飲が下がった。

 「失礼します、先生。」
 書斎のドアが、音も立てずにすうっと開いた。
 「乃木さん、ノックはして下さいよ。」
 「ああっ、すみません、子どもの部屋を開けるような気で…。
 あの、時間ですので今日はお暇をいただいてよろしいですか?」
 「勿論ですよ。
 ご苦労様、次は水曜日ですね。
 またよろしくお願いします。」
 「かしこまりました。
 お夕食は、ダイニングテーブルに出してありますので。
 食べ終えたあとのお皿は、きちんと食洗機に入れておいて下さいね。
 では、失礼致します。」

 子どもの部屋を開けるように、か。
 随分な話だ。
 家政婦の乃木さんからすると、僕は自分の息子と同じくらいの年齢で、つい余計な口も挟みたくなるらしい。

 いい大学へ進学したものの、いざ就職となったときに、自分が会社の歯車として存在しながら死ぬまで生きなければならないことに我慢ができず、大学卒業後もフラフラと何もせずにいた。
 一歩間違ったら世捨て人になりかねない僕を見かねた友人が、自身の就職した出版社の編集部に、僕が遊びで書いた短編小説のいくつかを持ち込んでくれた。
 それが、僕のサクセスストーリーの始まりだった。
 「現代日本文学の至宝」「若年の鬼才」「新進気鋭の純文学家」と呼ばれ、執筆活動、講演会、マスメディア出演にディナーショーまでこなし、挙げ句の果てにはノーベル文学賞まで期待されている。
 人よりはいい容姿と学歴が背中を押して、僕は時代の寵児となった。
 おかげでこの歳で代官山の高級レジデンスに居を構え、家政婦を雇い、自宅の書斎に篭って自由気ままに生きている。
 しかし、メッキというのは結局いつかは剥がれるもので、僕が世に送り出す作品は、生きた年数や経験値からしか出せない重厚さや説得力はなく、それを覆すほどの文才もなかった。
 マスメディアには「ノーベル文学賞有力候補」と都度大袈裟に騒がれても、その実、僕は日本の文学賞ですら受賞したことはない。
 僕のサクセスストーリーはただのハリボテで、名声に見合うほどの実力が僕にはないと、知っている人は知っている。
 だが、僕もそれを知っていながら、分不相応なこの暮らしを手放すことがどうしても出来なかった。
 そんな僕が、次にすることと言えばーーー。
 定石通り、「盗作」である。
 どこかの誰かがネットの海に打ち捨てた物語を拾い集め、時にはパズルのようにいくつかの話を混ぜて当てはめ、時にはそのまま文壇へ上げる。
 初めて作品の盗用したときは、誰かが何か言うかと肝を冷やしていたが、案外誰にも何も言われずに、僕の作品として大成功を収めることが出来てしまった。
 それから僕は、一人の文筆家というプライドを捨てて今に至っている。
 いい服を着て、いい飯を食って、いい女を抱く。
 そのためだったらプライドなんてクソ喰らえだ。



 「先生、お昼ご飯は何になさいますか?」
 乃木さんが、また書斎のドアをノックもせずに開ける。
 「乃木さん、ノック。」
 僕は少し苛立ち、乃木さんに強く言った。
 「ああっ、そうですよね。
 私ったら…ごめんなさい。」
 「僕は乃木さんの子どもじゃないですよ。」
 大袈裟にため息をつきながら、スマホの画面をそっと消した。
 スマホで見つけた適当な作品を、そのまま原稿用紙に書き起こしているところだった。
 「未発表作品がこの書斎には沢山あるんだ。
 小説家のところに出入りしてるんだから、少しは気を遣ってくださいよ。」
 僕は偉そうに言った。
 「そうですよね…、でも私、あまり頭が良くないものだから、先生のお書きになるお話なんて読んでもきっとわからないと思います。
 だから心配なさらないで。」
 乃木さんは悪びれもせず、ころころと笑いながら近づいてきてパソコンの画面を覗き込んだ。
 「ああ、ダメダメ。」
 慌ててパソコンの画面を消そうとしたが、間に合わなかった。
 「ここにある『倒錯』っていうのがタイトルですか?」
 乃木さんがパソコン画面を指差した。
 「まだ仮のタイトルだから変わるかもしれないけどね。」
 「この亜紀子が主人公?
 先生の彼女のお名前かしら。」
 「勘弁してくださいよ。」
 妙齢の女性特有のふてぶてしさと図々しさが滑稽で本当に母親のようだ。
 僕はそんなことを思い、心を許してしまった乃木さんに、つい「次の作品」の話をしてしまった。


 その日は、芥川賞と直木賞の選考会の日だった。
 僕の作品は今回もノミネートすらしていなかったが、マスメディアから受賞作品への感想を一日中求められ続け、さすがに辟易していた。
 テレビ局の地下駐車場に呼んであったタクシーに乗ると、大通りで事故があって渋滞しているため、渋滞を回避して自宅へ帰るには、ぐるっと迂回しなければならないと運転手に告げられた。
 僕は乃木さんに電話をかけ、帰りが遅くなることと合鍵で先に入って部屋の掃除をしておいてほしい旨を伝えた。
 自宅に入れるのに合鍵を使わせて、僕が留守の家を掃除をさせるなんて、ますますお母さんだな。
 思わず吹き出してしまい、ルームミラーの中の運転手が怪訝そうな顔をした。



 自宅に着いて鍵を開けると、乃木さんはもう中にいるようで、玄関には彼女のスニーカーがあった。
 しかし、掃除を頼んだはずなのに掃除機の音は聞こえず、家の中は静まり返っていた。
 「乃木さん?」
 僕は玄関から一番近い、書斎のドアを開ける。
 書斎のドアは音もなく、すぅっと開いた。

 乃木さんが、僕のパソコンの前に座り、何かしている。
 ーーー乃木さんーーーーー。

 言いかけてやめた。


 乃木さんは、僕の名前を呼びながら自分を慰めていた。


 乃木さんが何をしているのか脳が理解した瞬間、とてつもない嫌悪感がすごい速さで全身に広がり、肌が粟立つ。
 脚に力が入らずよろけてしまい、僕は壁にぶつかった。
 しかし、その音を聞いても乃木さんは慌てる様子もなく、ゆっくりと振り返る。

 「恥ずかしいところを見られてしまいましたね。
 でも、いけないのは先生ですよ。
 先生が『私の作品を盗む』から。」
 「なっ…何の話ですか。
 いい加減なことを言わないでください!
 大体、あなたは人の家で何をやってーーー!!」
 「この『倒錯』という話は、遠い遠い昔に小説家を目指して挫折した私が、何年か前に息子に教えてもらって、あるプラットフォームに投稿したものなんですよ、先生。」

 この作品が、乃木さんが書いたものだって?
 まさか、そんなはずはない。
 そんな偶然あるわけない。
 だって、乃木さんは頭が悪くて肉体労働でしか金を稼ぐことが出来なくて、純文学の高尚な文章を理解して書くことができるわけがない。
 どこにでもいるただのババアだ。
 僕の本を読んだって難しくてわからないって言ってたじゃないか。

 「何を根拠に乃木さんの作品を盗んだと言っているんですか?
 そもそも本当に乃木さんの作品かどうかすら怪しいじゃないか。」
 「いいえ、あの作品は私が書いたものなんです。
 何故ならあれは、私の自伝のようなものですから。
 あの作品の主人公に起こる全てのことは、私の日記をもとに書いたものなんです。

 それに、私の名前、覚えていませんか?

 乃木 亜紀子ですよ、先生。」


 その瞬間、これから起こること全てを理解した僕は、どうしようもないほどの絶望と恐怖に襲われ、胃から込み上げてくる熱い塊を盛大に吐いた。
 しかし、彼女はそれをまるで気にすることなく、僕に近づいて言った。

 「時代の寵児と持て囃された先生が、どこにでもいる愚鈍なおばさんの書いた作品を盗用するなんて、こんなにも名誉なことが他にありますか?
 私が書いた作品を、我が物顔で発表してお金にするのは、さぞ気持ちがいいことでしょう。
 だから私も、震えるほど昂り興奮してしまったんです。
 はしたないのは、承知していますよ。
 でも、私もこんなにも興奮したのは生まれて初めてなんです、先生。」

 彼女は下着をするすると外し、更に近づいてくる。

 「やめて…やめて!やめて!
 金!欲しいだけやる!だから!
 お願いだからやめてくれ…!」
 「私の息子と同じくらいの年齢の先生が、富も名誉も名声も欲しいままにしてきた先生が、新進気鋭の純文学家と評された先生が、小説家の道を絶たれて挫折した何者でもないしがないおばさん書いた作品を、盗んだんですね。
盗作はいけませんよ、先生。」

 「やめて、やめ…やめて…。」

 「愛していますよ、先生。
 先生も私を愛してくださいね。
 ーーー私の作品と同じように。」





 【倒錯】
 ①反対になること。さかさになること。
また、反対にすること。(精選版 日本国語大辞典)
 ②正常の状態に反した行動傾向,特に社会に非難される性的に特異な行動傾向をさす。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)

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