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チャレンジと子どもの未来

教育系スタートアップである、うちの会社ならではのことなのかもしれないけど、最近ある2つの言葉について考えることが多い。

それは「とりあえずチャレンジしよう」と「子供の未来をじっくり考えよう」という結構距離の離れた言葉。

会議などでもよくこれらの板挟みになることが最近増えてきて否が応でもこの2つとどう向き合うか考えざるを得なくなってきた。
スタートアップとして不確実性の中でスピードを緩めずに突っ走るためのチャレンジと、一方で教
育という子どもの将来を背負っているという責任。

どちらも大事なのだが、どう2つのいいところだけをとって考えることができるか、考えてみた。
そのためにこれら2つの言葉のそれぞれの問題点を考えてみる。

「とりあえずチャレンジしてみよう」という言葉に孕む危険性は、この言葉のどこかにある種の諦観があって、このチャレンジの中にはあまり次に生かされないチャレンジが含まれていると思う。特にスタートアップでは仕事は腐るほどあるわけで、その諦観の元起こされたチャレンジはやって終わりになることが多い。僕は特に大して真新しくないアイデアは「仮説を検証する」ということを行動の前でも後でもきちんとしないと、ただチャレンジしてもあまり意味がないと思っている。

ただそんな考え方ばっかりだと、一歩動くときにどうしても気持ちを削がれたりチャレンジしにくくなってしまい、そしてチャレンジしない会社は結果としてどんどん衰退していく。

うまく子どもの未来について考えながら、メンバーたちが価値のあるチャレンジをし続ける会社としていくにはどうすればいいのか。

その中で一つたどり着いたのがそのチャレンジの中に「教育者としてのこだわり」があるかどうかを重視する、ということ。教育者としてのこだわりがそのチャレンジの中に認められれば、そのチャレンジは諦観から出てきた価値のないチャレンジになる可能性は低い。この考えがメンバーに浸透すれば、ピンポイントで子どもの将来について考えながらスタートアップ的なチャレンジを繰り返すことができる。

まずはこの方法で運営して見て、また振り返ってみる。

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