【ミニ創作】ろうそく

 今日の集合時間が分からない。私はどこかに行ってみんなと合流して、さらにそこからどこかに向かうのだと、それしか覚えていない。しまった。枕元にあるキャンパスの、一枚一枚ピリッと切れるタイプのメモ帳を慌てて捲る。びっしりと文字で埋め尽くされたページから「10/7 駅前 テニス」という殴り書きを見つけ、すうっと血の気が引いて私の気を一瞬遠くさせた。急いでラケットと着替えを引っ張り出した。あとは何を……と考えるが、タイムリミットは迫っている。いや、メモを取らなかったせいで迫っているのかも分からない。昨日の後悔が頭の中を波打つ。その情景が浮かんでいる途中、あれ? 波打っていた頭の中が薄れていき、水平線のようにぼやけている。何をしに私は出かけるのだろう。ラケットバッグからメモを引っ張り出し、指に力を入れてページを捲ると千切れかかってしまったが、なんとか最寄り駅前に行かなければいけないことを思い出した。「確認」と横に添えた。駅前駅前駅前。何も食べずに玄関を開けて飛び出した。「メモ持ったの?」と洗濯機から服をプラスチックの籠に放り込む母親の声が聞こえた。

 ロータリーに紺のジャージがない。駅前に集合ということは、私以外にも誰かしらいるはずだった。家に戻ろうかと引き返そうとした時、早いなタケモト、まだ1時間も前だぞと、先生に呼び止められたが私はこの先生の名前を覚えていない。今日が何時集合? 10時だよ。いつも通りの練習試合の集合時間でしょう。メモのvol12を引っ張り出し、表紙に「中2 4月」とあるのを見、最初の方に「テニス部顧問 ハヤミ先生 障害話さない」と書いてあった。ハヤミ先生というらしい。しばらくして、胸に校章の入った紺のジャージを着た同級生が来たが、やはりこの子の名前も私は覚えていなかったのでなんとなく話してみると、雰囲気からユウカだと分かった。私はトイレに行き個室に入った。「10/7  アニメ好き 10/14映画行く約束  ユウカ」と書いていつもの「確認」、メガネをかけた髪の毛ロングのイラストまで書いた。忘れるな、忘れるな忘れるな。念じながら階段を降りていくとPASMOに電車賃をチャージしていなかったことに気づいた。よかった、早めに気づいて。千円を機械に吸い込ませ、さっき喋った子のところに戻ろうとまた階段を降りる。あっ、私は突然声を出した。あの子の名前が出てこない。なぜ、さっき話したばかりなのに。まだ微かに覚えている気もする。記憶の熱が段々と冷めていくのを感じながら、私は濡れた視界を拭った。

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