いつまでも落ち込んじゃいられないよな
ツイッターで知り合い、ツイキャスで仲が深まりました。妹のように可愛がっていた人物です。
私が本格的に活動を始める前、まだ自分のうつ病が治っていなくてツイッターを彷徨っていたとき。
えげつないほどの下ネタを投稿してた人で、最初は男性かと思っていました。ツイキャスに初めて遊びに言ったとき、声を聞いて女性だとわかった。
恥ずかしがり屋で、世の中にすごく毒を吐く女の子だったけど、彼女の心は純粋だと最初から感じていました。世の中を憎んではいたけど、人を憎むような子ではなかった。すごくいい子です。
4月から音信不通になってしまい、ずっと心配していたのですが、8月の末、彼女の友人経由で自ら命を絶ってしまったことを知りました。
ショックも大きかったですが、同時に怒りも湧いてきたのが正直な気持ちです。悔しい。とても。とてもとても。
私は自分が精神疾患となり、苦しんだ経験があるため、そんな人を少しでもなくしたい。そう思って「メンタルハッカー」としてずっと活動してきました。
YouTubeやツイッターなどで「ほっしーさんの活動を見て明るい方向に人生が変わりました」と言ってくださる方はたくさんいます。素直に嬉しいです。
しかし、自分の手の届く範囲の人間すら救えないのか?そうして自分を責めました。何がメンタルハックや。
LINEだって交換してたんすよ。そんな頻繁に連絡とってたわけじゃないけど、他の人よりは圧倒的に密にコミュニケーションを取っていた。なのになぜ気づけなかったのか。…いや、兆候はありました。気づいていたのかもしれません。向き合うのが怖かったのかもしれません。
しかし、深く関わっていていつも感じていたのは、死を選ぶ理由は単純なものじゃない。いくら仲が良いからと言って、彼女の全てを知っているわけではありません。亡くなってから親御さんとも電話で話しました。彼女の小学校時代、中学校時代の話を聞いて99%知らない話だった。いやよく考えたら当たり前ですよ。わざわざ全部話さないし、覚えちゃいないもんです。だからきっと、私がなんとか助けようとしたところで無力だっただろう。いや…本当はどうにかすることができたんじゃないだろうか…?こんな不毛な議論を頭の中で続けては、自分の無力さを思い知りました。
死後の世界がどうなっているのか、誰にもわかりません。生きている人たちが残されて寂しい思いをしてしまうので「死=悪いこと」だと捉えがちです。彼女に死んだ感想を聞くことはできませんが、穏やかにいけたのならそれでもいいかな…とも落ち着いてきた今なら少し思えるようになりました。
10月から私は本格的にメンタルヘルスサービスを展開するべく動き出すつもりです。その少し前に「死」について深く向き合えたことはプラスになると信じています。そうやって都合よく解釈するしかねーじゃねえか。
徹底的に生き抜いてやる。これから先、どれだけ辛いことがあっても、俺は絶対死なない。それがお前に対する復讐だからな。クッソ。本当に悔しいわ。
落ち着いたら線香上げに行くよ。
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