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登窯の窯焚から伝統を考える。ルーティン(習慣)の積み重ねが軸を作る。

窯焚のルーティン。

年に三回ほど焚く登窯の窯焚きには、いくつかのルーティンがあります。

大事なものとしては 

   窯に火を入れる時には、窯の前にその日出勤している全ての朝日焼のスタッフが集まり、お灯明をあげ、柏手を打って火入の儀式を行います。

また、

窯に火が入った翌日、全部で三日間焚く窯の二日目には、火の神様として信仰される愛宕山頂の愛宕神社にお詣りに行きます。三日目が本番なのでその前に窯焚きの無事と成功を祈願します。

毎回、窯焚前には睡眠時間を削っての制作が続き、窯に火が入る頃には疲労困憊ですから、往復3時間以上かけて山に登り、祈願をするよりも、体を休めた方が合理的です。

しかしながら、私は毎回、体力的にはキツいなと思いながら山を登ります。

傍から見ると、神頼み。

ということなのですが、窯の前でお灯明をあげて皆でお祈りすること、そして、愛宕山に登り愛宕神社にお詣りすること。この二つのルーティンを私はとても大事に思っています。

非合理的なものの重要性

お祈りをすること。と、窯焚の成功には、おそらく因果関係を見出だすことは難しいと思います。

もちろん強く窯焚の成功を願っていますから、お祈りをする際には純粋にその成功を願うばかりなのですが、実際に窯を焚くのは自分たちです。その成功や失敗を神様のせいにはできません。自分たちの経験と技量を最大限に発揮して窯を焚きます。

もし、こういったお祈りを止めて、窯を焚いても短期的には朝日焼のもの作りに大きな影響はないでしょう。

しかしながら長期的には、このお祈りをして窯を焚くということを継続しているか、否かは、大きく自分たちの作るものに影響を与えるのではないかと思っています。

それは、この祈り焚くということが、朝日焼のもの作りの基本姿勢を作っていると思っているからです。

我々のもの作りは、自分たちが何かをゼロから生み出すというよりは、本来、土が持っている美しさを、形づくり、松割り木の炎によって引き出していくものです。

この引き出していくという感覚が朝日焼的であり、どこか謙虚さ、を持って土に向き合うことが朝日焼のもの作りに必要なのです。

こういったことを言葉で伝えるよりも、ずっとお祈りの習慣の方が、しっかりと継承していくことに役立ちます。

それは、一見非合理的なことだからこそ、合理性により変化せずに、確実な継承をもたらすのだと思います。

伝統が形成されるには、時間が必要です。しかし長い年月は自身を取り巻く環境を変化させますから、自身も多くの点で変化していかなくてはいけません。しかし、すべてが変化してしまっては、継承されるものがなく伝統は形成されません。変えていくものと、変えないもののバランス。これに正解はないと思いますが、変わりにくいものに大事なものを継承する仕組みを背負わせること。これは、逆にその他の変化を受け入れやすくし、伝統の形成にとっておおいに意味があると思います。

合理的な理由によって導かれたものは、合理的な理由が上書きされると簡単に変化します。

しかしながら、合理的な理由ではなく継続される習慣は、その変化のしにくさから、伝統を形成するための軸とります。

朝日焼にとって、窯焚のルーティンは常に継続していくことのできる軸となるべき習慣なのです。



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