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無言の茶室プロジェクト。脳波×茶の湯の可能性。

言葉に依らず観賞体験を他者と共有することへのチャレンジ。
非言語の新たなコミュニケーションの模索。

無言の茶室プロジェクト始動。

konelの出村さんにお誘いを受け馬喰町のラボでNo‐oNという、脳波を測定しながらその脳波によって音楽や映像が生成されるプロジェクトを体感したときから、脳波と茶の湯という掛け合わせの可能性を大きく感じました。

前日に私の作品展を見に来てくださった出村さんとは、全く違うジャンルながら共有できる感覚が多く、すぐに脳波×茶の湯のプロジェクトが動き出し、無言の茶室という取り組みとなりました。

無言の茶室とは。

簡単にどんなことが起きるのかを説明しますと

  ゲスト❬客❭は一人で茶室に入ると茶碗を選び、脳波計をつけます。
  ホスト❬亭主❭である私は、選んでもらった茶碗でゲストの為に点前をして、お茶を点てます。
  お茶を点てる時から、茶が点ち茶碗が面前に運ばれ
  その茶碗を手にして、お茶を飲む。
  この一連の流れの最中、ゲストの脳波は測定され、その脳波によって生成された音楽が茶室内に流れます。ゲスト、ホストとも茶室の中で言葉を発することは禁止します。

通常、茶の湯では客は茶室の中で感じたことを言葉として亭主に伝え、亭主と客とのコミュニケーションが成立します。しかし、その場合には客のボキャブラリー、それまでの経験値によってコミュニケーションの濃さが左右されます。例え多くのことを感じてても言葉としてそれをアウトプットしないと何も共有されません。無言の茶室プロジェクトでは、その言葉に変わるものとして、脳波で奏でる音楽というものを用いるチャレンジをしました。

それは、客のボキャブラリーやこれまでの茶の湯の経験値に左右されることなく茶室内の観賞体験をアウトプットする試みです。

無言茶室の動画はこちら。
https://vimeo.com/378290560?fbclid=IwAR2XVlJBEZgQz_WWbjF6NkH7L5RXmOd__impUvFd-dsBtbvLWYyu5GxCiUk

十二人の、十二の音色。

最初の試みとして、12人のゲストそれぞれに一客一亭形式でお茶を点てさせて頂きました。そして、12人が、私の茶碗で私か点てたお茶を飲む時に、12人の脳波が奏でる音楽を私は聞かせて頂きました。
楽はそれぞれに違っていて、どこで集中しているのか、緊張しているなかをはじめ、脳が違った感じ方をしているということが実体験として体感出来ました。

普段、茶の湯に親しむことのない方、あるいはそもそも言語の違う国の人達と、茶を飲むことを通して行うコミュニケーションに新たな可能性を見いだすことが出来るのではないでしょうか。

観賞体験を問う。

私にとって、抹茶を飲む茶の湯の茶碗は特別な存在です。
茶室で茶を飲むという行為も自然ではありますが特別な意味を持つ行為です。
それはまさに、茶を飲むと同時に茶碗を観賞する行為です。それは、明らかに普段の食卓で飯茶碗でご飯を食べる時とは違う、思考、感覚、器官を働かせています。

一方で、そんな風には感じない人もいるでしょう。

茶碗を観賞するという行為はどのようなことなのか。
それは美術館で絵画を観賞するということと同じだろうか。
レストランで料理を堪能することと、どのくらい違うのだろうか。
きっとそれは、一人一人違っていて同じではないのでしょう。

私は茶碗を作る人間として、自分が茶碗に込めているものを共有したい。
また、人が私の茶碗から感じていることを知りたい。

そんな想いから、茶碗を観賞するという行為を掘り下げて行きたいなと思っております。

無言の茶室プロジェクトは、その大事な大きな一歩であり
茶碗を観賞するということが如何なることか掘り下げ
また、観賞するとは何なのか。世の中に問うプロジェクト、作品です。
次なるステップを模索していきたいので、ご興味ある方はご連絡をお待ちしております。

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