大宮アルディージャの2007年を振り返る(前編)

シーズンが一向に再開しないので、クラブが過去に戦ったシーズンで印象に残った年の記録を残していく。

先日のOle!アルディージャ、ゲストの片岡洋介が挙げた印象に残った試合は2試合とも2007年だった。在籍10シーズンでその年以外にもコンスタントに試合に出続けた彼があえて選んだこのシーズンは、残留争いを毎年のように繰り返したクラブの歴史の中でも最大のピンチで、また激動の1年だった。

この年の4月に長期ビジョンを見据えて発表した「アルディージャの誓い」が絵に書いた餅になり、2007シーズンの混迷がクラブの停滞を招いたと言っても過言ではない。

個人的にもこの年は初めてシーズンチケットを購入した年で、補強云々は抜きにして期待を持ってこのシーズンに突入した強い思い入れがある。そんな激動の1年を2回に分けて振り返る。

1.シーズンオフから開幕へー厳しい船出

J1で2年目のシーズンを12位で終えたクラブは、更なる飛躍のために功労者である三浦俊也監督と契約を更新せず。しかし、クラブのレジェンドであるトニーニョや土屋征夫・ディビッドソン純マーカスの退団、久永辰徳のレンタルバックでの退団など放出のニュースばかりで良いニュースが聞こえてこない。

日本人選手については大卒GK柴崎邦博とユースから川辺隆弥の昇格はあったが、契約非更新となったルーキー小林庸尚とベテラン平岡靖成の再契約、佐伯直哉と島田裕介のレンタルバックのみと厳しいオフシーズンを過ごした(サポーターの中では「草津の王様」島田はかなり期待されていたが)。望みは背番号10を背負うストライカーのエニウトンとCBレアンドロのブラジル人コンビ、新監督のオランダ人ロバート、彼らに託された。

新スローガン「シンカ」を掲げ、前述の通り厳しい船出を予感させた2007シーズンは、早速キャンプでの韓国クラブとの練習試合で左SBの石亀晃が相手のラフプレーにより大怪我を負った(当時のキャプテン藤本主税がこの件についてブログにて厳しく非難)。年齢層が高く選手層も薄かったクラブは、期待の若手を1人欠いた状態で開幕を迎えることになった。

開幕戦のアウェイG大阪戦は終盤まで粘り強く戦ったものの、ATの片岡が本人も認めたミスから、バレーに恩返しゴールを決められ敗戦。2節のFC東京戦は内容もパッとせず連敗、2006年終盤に活躍し期待を持ってシーズンを迎えた橋本早十のFKはバーの内側を叩き、ピンボールのようにゴールから弾き出された。思えばこの2つのプレーがこのシーズンの厳しさを象徴していたのかもしれない。

2.初勝利ーなかなか見えない出口

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クラブは早速動く。スピードタイプのアリソンに替え、長身のサーレスを獲得。4-4-1-1、縦の2トップを標榜したロバート監督だったが、トップのエニウトンは孤立し、その後ろの小林大悟は精細を欠き良い形でシュートまで持ち込めない。久永無き後のサイドの活性化を期待されたアリソンを切って、前線での高さと起点作りをサーレスに託した。

3節アウェイ大分戦は吉原宏太のチーム初ゴールが生まれるも3連敗。4節ホーム清水戦ではビハインドの展開からロバート監督はFW3枚を同時投入。すると8分後にデビュー戦のサーレスが一発退場しそのまま4連敗。5節のアウェイ鹿島戦は未勝利対決となったが、後半早々の佐伯の退場も待望の勝ち点1を手にした。

そしてホームの6節の名古屋戦では、三浦監督時代にもオプションとして重用された4-1-4-1のフォーメーションに変更し、アンカーに"マサ"斉藤雅人を起用。困ったときのマサはチームに安定をもたらす。サーレスが待望の来日初ゴールをヘディングで突き刺し、レアンドロの退場がありながらも初勝利。試合後のインタビューでの主税の涙は今でも忘れられない。

ここで浮上のきっかけを掴むと思われたが、そう簡単な話ではない。ナビスコカップでは2勝2分と好調であったが、リーグ戦では3連敗を喫し、9節終了時点で1勝1分7敗の勝ち点4、5得点と補強も叶わず攻撃陣の迫力に欠ける状況にあった。7節のアウェイ千葉戦では温厚なマサが交替で退いた後に退場。試合終盤の千葉リードの状況でもたつくボールパーソンの子からボールを奪ったことにより、4戦連続の退場者となった(正直あの子どもの行動には意図を感じたが、それ以前に負けるチームが悪い)。

10節はアウェイのさいたまダービーであった。当時は今以上に選手・サポーターのダービーへの意識は強かったように思える。当時憎いほど強かった浦和相手に小林慶行のゴールで先制するもワシントンのゴールで追い付かれ勝ち点1に終わった。このあたりから当初の志向するサッカーを捨て、より守備に軸足を置くようになる。

3.戦力の入れ替えと監督の電撃解任ー更なる現実路線へのシフト

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浦和戦を含めた8試合を無敗で切り抜け、失点を3に抑えた。12節ホーム横浜FC戦では雨で中断するハプニングもありながら冨田大介のヘディングで勝利。15節ホーム新潟戦ではホーム通算観客動員数100万人に合わせ動員をかけた大事な試合に、若林学のゴールで勝利した。

しかしながら、その間2勝6分ではなかなか順位も上がらない。ことサッカーについても戦術的な上積みは見られず、昨年以前迄の遺産を食い潰している感は否めなかった。そしてガンバ戦の前にサーレスの退団が発表される。多くのクラブを渡り歩いた長身レフティは8試合1ゴールに終わり、大宮にも定着することはできなかった。

2巡目に突入した18節ホームG大阪戦からは流れを変えるべくGK江角浩司が先発したが、チーム力の差を見せつけられ大敗。中断期間に突入すると、エニウトンの退団を発表。9試合0ゴール、ブラジルでの実績はありながらもチームにフィットせず結果は出せなかった。代わりにエニウトン同様実績十分のブラジル人FWのデニス・マルケスを獲得。更に無所属だった元日本代表MF平野孝を獲得した。

リーグ戦約1か月半の中断期間を終え、19節を迎えようとした4日前。まさかのタイミングでロバート監督を電撃解任し、後任に佐久間GMを据えた。今でこそ前例だらけだが、J1昇格3年目にして初めてのシーズン途中での監督交代であった。

18試合を終えて3勝7分8敗の16位で、得点10失点19。この状況での佐久間さんの緊急登板についてはフロントからの転身であること、佐久間さん自身によるものとで結構否定的な意見が多かった。しかし、もう後戻りはできない。7月時点でブラジル人を3人切っている状況からも、現有戦力での限界が現れている。更なる補強と現実的な守備偏重の戦術への変更で生き残りを目指した。

シーズン後半については後編に続く。
(※記事内に掲載しているフォーメーション図は選手の左右が逆になっている場合あり。)


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