大宮アルディージャの2007年を振り返る(後編)

前編からの続き。

Jリーグ参入時の監督でクラブの礎を作ったピムの弟、ロバート。攻守にやりたいことが見えずちぐはぐで、チャレンジしていた4-4-1-1はすぐに頓挫し、"安全策"の過去の遺産、4-1-4-1で選手の献身に懸ける形になった。昇格後3年目で最も編成面で恵まれず、肝であった2トップの前に位置したエニウトンが適性に乏しかったことでプランが崩れたことは同情の余地があり、佐久間元GMにも責任の一端はある。だが、結果監督として実績の無かった彼の起用はただの縁故採用に終わった。

1.続く苦しい戦いー運命のさいたまダービー

再開後も状況は変わらなかった。桜井直人の怪我からの復帰や、デニスの当たりを予感させる2ゴールの活躍、ブラジル人の若手FWペドロ・ジュニオール、湘南からDF村山祐介、神戸からGK荻晃太のレンタル加入などのプラス要因はあったが、5戦勝ち無し。後に大宮に加入する増田誓志の逆転ATゴールや名古屋戦の0-5など上向く気配がない。このシーズンについてはカードの枚数が異常に多く、監督交代後もこの傾向は変わらず、退場者や累積警告によるプランの変更ややり繰りに苦労することが多かった。それでも何とか、クラブを熟知する新監督と5人の新加入選手と共にシーズン終盤へ向かう。

24節のアウェイ浦和戦、11試合を残してのさいたまダービーで結果を出して浮上のきっかけを掴みたいところ。3勝9分11敗で迎えた首位との対決。この試合で初めて新加入選手が全員メンバー入りしたが、カードの多さが祟り主税・宏太・片岡の3人が累積にて出場停止。対する浦和もエースのワシントンを欠いた試合となったが、腐っても首位。totoのオッズは大宮の勝ちと引き分けを足しても一桁だったと記憶している。

尻に火のついたダービーマッチだけあって、この日の大宮は本当に泥臭く戦った。レアンドロのドリブル突破からの優しいラストパスに反応した森田浩史のゴールで先制。身体を張った全員守備に江角の好セーブにより、49,810人の大観衆の前でウノゼロを演じた。先発7試合目で初勝利となった江角がボールを抱え込むと共に試合終了の笛が鳴った光景と、ヒーロー森田がゴールを決めて涙目で雄叫びをあげる姿は今でも忘れられない。無敗の浦和を止めた、クラブ史に残る名ゲームである。

2.大宮公園への帰還ー残留に向けて

2007vs浦和レッズ24

浦和戦は勢いをつけるにはもってこいのゲームだったが、その後は2連敗。26節千葉戦については非常に内容も悪く、いよいよか…と思うところもあった。

1勝1敗を経て迎えた29節ホーム広島戦。1万人超えの駒場ラストゲーム。市内とはいえ決して近くはない駒場開催、今のNACK5に比べてピッチからの距離があったため臨場感にも欠け、チケット代は安かったが浦和の全盛期ということもあり新規顧客に訴える力はなく動員は苦戦した。そんな駒場での2年間の集大成は試合終盤の若林のゴールによる劇的な勝利で15位の広島に迫った。J1に生き残るために戦った大宮と、ミシャのサッカーを体現したうえで勝利を目指した広島は対照的なチームだった。続くアウェイ横浜FC戦も台風の中の大悟のゴールで30試合目にして初の連勝とシーズンダブル。2年ぶり、次節の聖地帰還へ繋げた。

31節、ついに本当のホームに帰って来た。同じ下位の大分を"NACK5スタジアム大宮"に迎えたこの試合。スタンドは超満員、記念Tシャツが振る舞われ、試合前のサスケのライブ…そんな聖地帰還への祝福ムードと残留のための緊張感が交錯した。試合直後の慶行のNACK初ゴールとなる先制点で大盛り上がりとなったが、2010年に大宮に加入する深谷友基のゴールで追い付かれ、終了間際には大宮キラー前田俊介に逆転ゴールを許し敗戦。満員のスタンドの雰囲気にのまれ、普段通りのプレーが明らかにできていなかった。

残り3試合、32節のアウェイ甲府戦も残留を争う相手である。終了間際の甲府の決定的なシーン、2014年に大宮に加入するラドンチッチが外し難を逃れ、貴重な勝ち点1を手にした。

そして33節アウェイFC東京戦、この試合もまたクラブ史に残る1戦となった。先制されたものの、主税のゴールで追い付く。名物の阿波踊りも控えただ勝ち点3を目指した運命のAT、浦和戦を思い起こさせるレアンドロのドリブル、途中でこぼれたボールをそのままドリブルしシュート。奇跡の逆転劇となった。原博美監督の退任セレモニーが始まっても大宮サポーターは大騒ぎ。FC東京には本当に申し訳なかった。この結果を持って16位以上、自動降格を回避した。

3.奇跡の残留ー2007シーズンとは何だったのか

vs大分トリニータ31

最終節、自力での残留が決まるホーム川崎戦はクラブの功労者である奥野誠一郎のラストゲームだった。何とかNACKでの初勝利と合わせてリードする展開に持ち込み、奥野の投入で逃げきりを図りたかったが先制される苦しい展開。佐久間監督は勝負にこだわり、この日奥野の出番はなかった。そしてこの日もドラマが待っていたのは後半AT、奥野の盟友・斉藤雅人のJ1初ゴールで大宮はJ1残留を自力で決めた。スタジアムは前節に続きお祭り騒ぎになった。

決して誉められる結果ではなかったが、終盤の粘り強さを発揮し当時の自動残留クラブの最低勝ち点35、8勝11分15敗で生き残ることができた。守備的な戦術をとった結果得点24と深刻な得点力不足は解消されなかったが、終盤は数少ない得点が確実に勝ち点に繋がった。また失点40はリーグ7位の数字で、チームで守り抜いた結果であるといえる。

ベテラン偏重のチーム構成で、苦しいチームを救うラッキーボーイは現れなかった。残留劇はベテランを中心に多くの話し合いを重ねてチーム一丸となれた面が大きかったが、エースの大悟は前年ほどの活躍はできず、若手は期待の片岡・早十は伸び悩み、レンタルバックの島田は層の薄いクラブにも関わらず満足に出場機会すら得られなかった。ルーキー柴崎は1年で非情にも契約満了、五輪代表候補の田中輝和も守備やクロスの課題が改善されず、ベテラン両SBに取って変わることができなかった。

外国人の入れ替えや夏の補強で強化費も必要以上に使う苦しいシーズンだった。デニスについては得点数以上に個の力でチームに貢献し、少ない出場機会で結果を残した平野、J2の控えからの個人昇格とは思えない安定したプレーを見せた村山と、確かに夏の補強のおかげで掴み取った残留といえど、この年のクラブとしての上積みは、正直なかったに等しい。しかし選手たちのチームをJ2に降格させてはいけないという気持ちと結束は終盤戦目に見えて強くなっていた。戦力としてはJ1在籍シーズンで最も苦しかったかもしれないが、必死に戦う選手たちの頑張りがあって、数々のドラマが生まれ結果に結びついた。この年はクラブの長い歴史の中でも非常に印象に残ったシーズンだった。

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