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Pairsで見つけた私と同じ背景を持つ彼氏

 多少話の軸がずれる恐れもあるが、最初に私が今の彼氏と出会った経緯について書きたいと思う。前回の投稿で書いたとおり、私は6年間女子高に通っており、ませた同級生の中には学外で彼氏を作る子もいたが、ごくごく少数であり、私はその他大多数だった。つまり、6年間親戚・教師陣以外の男性と接触がないまま、女の園を卒業することになった私の中の男子のイメージは、最後に接触のあった小学6年生で終了していた。そんな私が大学生になるとどうなるのか、お察しの通りである。つまり同級生の男子とどのように接すればいいのかわからない、という期間がしばらくあった。特に私は身長が170cmあり、中高時代に私より長身の同級生は1,2人しかいなかったため、見上げて話すという経験が非常に少なかった。しかし、大学ではそうもいかない。170cmは女子の中では非常に長身であるが、男子の平均身長でしかない。当然大学生の男子同級生と話すときは見上げる必要がある。それが私にとっては非常に苦手で、圧迫感を覚え、目を見て話すのも苦手だった。完全に挙動不審なのっぽの誕生である。

 結論、学部の4年間私は彼氏が一人もできなかった。女子高にいた時は、大学さえ入れば彼氏なんて自然にできると思い込んでいた。ましてや、私の所属学部は男性が9割であったため、イメージしていたのは、少女漫画の主人公も真っ青の、私が追いかけられる大恋愛ばかりだった。しかし、私の想像とは裏腹に大恋愛の兆しなど一切なかった。一年たってもウンともスンともいわない環境にしびれを切らした私は、それなら自分が行動しよう!と思いたった。日本には女子に勇気を分け与え、行動することを後押ししてくれる素晴らしいイベントがある。バレンタインだ。大学2年の冬、私もそれにあやかろうと思い、入学時から一目惚れしていた船越英一郎似の同級生にチョコを持参して告白した。結果、断られた。もうどうしようもない。追いかけられない、追いかけても断られる。私はあきらめきれなかったが、心のどこかで、学部のうちに彼氏を作るのは無理なのかもしれない、と思うようになっていた。

 転機が訪れたのは、私が外部の大学院に入学が決定してからである。私は学部で都外の大学に進学していたが、大学院で東京に4年ぶりに帰ることになったのだ。個人的な考えであるが、都内かそうでないかの差は大きい。若者の人口が圧倒的に違うからだ。これはもう、恋愛の神様が私に恋愛をしろと言っているようなもんではないか!ここから私は研究もそっちのけでメンズとの出会いに全力を注いだ。具体的に何をやったかというと、Pairsというアプリに登録し、メッセージで盛り上がったメンズに片っ端から会いに行く、というどぶ板営業だ。私の記憶が正しければ、2020年の3月に初めてのアポをこなした。大変申し訳ないが、最初に会った人の名前は全く覚えていない。私の2コ上であったが、学年は2コ下であることを聞いて、「この人は4年間何があったのだろうか?」と不思議に思ったことだけ記憶している。最初に会った方から、十数人とのアポを経験した今だから思うことであるが、優しい人だったと思う。メッセージの返信もまめだったし、何より、私がゲーム実況が好きであることを話すと、私のおすすめの動画をすべて見てくれたのだ。そこから多い時で月に4人、少なくとも1人と会うような生活を一年間続けた。

 一年間本当に様々な男性とあってきた。普段の生活でも、接する人間の半分が男性じゃん、と言われれば確かにそうであるが、実際会話する関係性の人となると、自分と同じような生活環境の人ばかりではないだろうか。しかし、Pairsでマッチングした男性に環境縛りなど存在しない。自分のイメージしていた一般男性が、ほんのひと握りの方々しか想定していなかったことを学んだ。回数をこなすことで、緊張も和らいでいった。最初の人と会ったときは本当に緊張していて、それこそガッチガチだった私も、次第に素の自分ので会うことができるようになっていった。素の自分、というと聞こえはいいが、そこから新たな問題が発生する。とにかく楽しくないのだ。素の自分で友達とランチをするのならば大変楽しいと思うが、まったくの初対面の異性と素で楽しく会話できる人間はいったいどれほどいるだろうか。しかし、アポ自体に楽しみを見いだせなくなった後も、私はメンズと会うのをやめなかった。彼氏が欲しい一心だったからだと思いたいが、実際は惰性もあっただろう。2回目に会うような人も現れなかったが、誘われたら一回目のアポに行くというような感じで、ずるずると続けていた。

 少しでも条件がいい人に巡り合うと、「この人が彼氏になるのかな?」と思ったりもしたが、私がいいな、と感じる人ほどメッセージを返してくれなかったり、私が二回目を誘っても応じてくれずにフェードアウトされることが多かった。そんな中で出会ったのが、後に今の彼氏になる方である。ここでは彼のことをKと呼ぼう。Pairsのプロフィール上で私は正直に中国出身と明示していたが、彼は外国人であることを片鱗も見せていなかった。Kとマッチングしてしばらくメッセージのやり取りをした後に、「実は俺も中国出身なんだよね」とカミングアウトしてきて、その時になって初めて彼が私と同じ背景を持つ人であることを知ることになった。Pairsを退会して、アプリも削除した今となっては確認もできないが、その後も中国関連の話題はあまりしなかったと思う。それは、Kとマッチングする前に、日中のハーフである方に「香港問題についてどう思う?」と特に何も考えずに聞いたら、「その質問は、僕がハーフだから聞いてくるのですか?大変不快です」と言われフェードアウトされた苦い思い出があったからである。同じ轍は踏まない、と心のどこかで思ったのだろう。

 一年間でひとしきりの男性は見てきたと思うが、Kは女性なれしていないな、というのが一回目のアポの感想であった。女性なれしている男性は、席に座るときに奥に座らせてくれる、手の大きさ比べよう、とか言ってすぐに触ろうとしてくる、などの特徴がある。しかし、Kは私が控えている「女なれしている男の特徴リスト」のいづれの項目にも当てはまらなかった。もし、Pairsで活動し始めて2ヶ月くらいの私だったら、「なんて女性を適当に扱う人なんだろう!ぷんすかプンプンプン!」と怒っていたかもしれないが、10ヶ月に突入した私は、それらは些細な事だと思えるようになっていた。むしろ、かわいい、と思えるようになっていた。そして、3回目のデートでKから告白されて、とうとう私は人生で初の彼氏をゲットしたのだった。つまり何事もタイミングなのだ。もし、10ヶ月目で、最初にアポをした方とマッチングしたら、もしかしたら、4年間の意味の分からないブランクに目をつぶれたかもしれない。数回目に会った両腕にタトゥーを施して私を驚愕させた男性も受け入れることができた可能性もある。しかし、そのタイミングで巡り合ったのがKだったのだ。

 人生で初めて彼氏ができた私は彼氏ができた!という興奮から覚めると、途端にどうしたらいいかわからなくなった。大学受験で目標にしていた大学に合格すると燃え尽きてしまう学生が一定数いると聞くが、まさに私がそのような心情になった。「彼氏をつくる」ということをゴールにして1年間突っ走っていたが、体力気力を使い切ってゴールしたかと思いきや、まさかのスタートラインに立てただけだったのだ。そしてここからは全く未知の戦いになるのだ。スタートラインに立ってまだ1ヶ月弱の私はそこからまだ一歩も動けていない。

つづく

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