〈レンタルなんもしない人〉というサービスをはじめます。
2022.3.1
この方は、宇宙物理学の大学院を卒業後、組織に属してその組織の期待に応えて何かをすることを求められることが苦しくなってやめて、このサービスを始めた。サービスといっても仕事でもボランティアでもない、「海外旅行に行くような」娯楽として。
「一人分の存在」だけを無料で(交通費のみで)レンタルするサービス。何もしない。そこにいるだけ。
例えば、「やる気が起きない仕事ができるよう、何もしなくていいから部屋に座っていてください。」「山手線に朝から晩まで一緒に乗っていてください」「人に言えない話を聞いてほしい」「誰も来ないのでお見舞いにきてほしい」「朝起きられるように待ち合わせをしてほしい」「一緒にそばを食べてほしい」・・
まあいろんなお願いが世の中にはあるんだなあと、レンタルさんじゃなくて依頼の多様性に驚く。
人間って、誰かと一緒だと力がわいてくるんだなあ、たとえその人が何もしなくても、人が一緒にいるだけで。
これがA.I.じゃあだめだと思うな。犬や猫ではどうか。A.I.よりいいと思うけど、やはり人間だからだな。しかも、その人間が無味無臭(何もしない)のがいいんだろうな。何かしたり言ったりしたら、自分の力が湧いてこないどころかやる気がなくなったり傷ついたりするからレンタルさんに頼むんだろうなあ。
いるだけという不思議な力。
仕事とか、何かを生み出すとか、「有益な」「生産的な」ことをしていないと無価値とされる社会だけど、ほんとは誰かが何かをできているのは、そうじゃない人がいるおかげなのかもしれないよね。昼間の星が見えないように・・。
この中で、お金にまつわる考え方にグサッときた。これをなぜ無料でやっているかというところ。みんな知りたがる。どうして無料なんですか?どうやって食べてるんですか?(私もそれが知りたかった)
いくらにするかと最初考えたが、値段をつけた瞬間に、お互いの値踏みが始まると。レンタルする方は、元をとろうと思うし、レンタルされる方は少しでも楽しようと考える。それって違う気がしたと。
そうだよね、資本主義ってそういうことよね。
そうじゃないことをしたいと思ってやってるわけだもんね。
お金に心底縛られているわたしたち。お金を稼ぐことが人間であることの最低条件みたいに思わされているわたしたち。子どもは稼げる(税金を払える)おとなになるために教育される。
お金に縛られることをやめるにはどうしたらいいのだろうか。