子育てに「過干渉」があるのではない。「一個の人格として尊重しない子ども扱い」と「人格を尊重しつつ、関心を持って接する扱い」があるのである。
ラジオを聞いていると、「お悩み相談」コーナーで、母子家庭の母親の父、つまり子どもにとっての祖父から相談があった。
孫は、中学1年の女子なのだが、学校で友達ができないという。
孫は、祖父に「友達ができなくて、寂しいんだよね」と打ち明けたという。
祖父はそのことをとても心配しているのだが、周りの祖母などは、「過干渉だ!」と気にしていないが、どうしたものか?という内容。
コメンテーターの脳科学者は、いろいろアドバイスをされておられたが、その内容よりも、私は「過干渉」という言葉と、その認識が気になった。
標題の通り、子育てに「過干渉」があるのではなくて、「一個の人格として尊重しない子ども扱い」と「人格を尊重しつつ、関心を持って接する扱い」があるのだと考える。
「過干渉だから、そのうち何とかなる」といった考え方は、悩んでいる本人にとっては邪魔にはならないが、助けにもならない。
しかし、「なんとかしてやりたい」という思いのあまり、一個の人格を通り越して行動したり、アドバイスすることも結局は助けにはならないのだと思う。
結論を言うと、「関心を持って共感してあげる」。そして「一個の人格として尊重した上で、問題解決へのヒントとなるような例を示してあげる」ことがベターなのではないかと思う。
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