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劇場のスクリーンで「空の大怪獣ラドン」の中の、昭和30年頃の坑道内と炭鉱街の「天然色のリアル」に触れた

かつて県内のいたる所に存在した炭鉱と炭鉱街。
それはどんなことをしても、当時を再び見ることはできません。
数枚残されているかどうかというモノクロの写真だけが手がかりで、それすら無いところばかりです。

今、かつて炭鉱があった場所に立ってみても、「本当にここにそんな場所があったとは、到底信じられない」ような所ばかりで、果たしてそれが正しいのかどうかすら疑問になります。

しかし、ほぼ唯一。昭和30年頃の炭鉱街を当時のカラーのまま、見ることができるのが、表題にある東宝映画「空の大怪獣ラドン」の中です。
この映画は、熊本県阿蘇にある炭鉱街が舞台となっていますが、阿蘇地方に炭鉱は無く、撮影が行われたのは、長崎県北松浦郡鹿町町にあった日鉄鹿町炭鉱です。

この映画、特撮映画としても有名であるため、特に私が観たかった鹿町炭鉱でのロケ部分がすべてリアルであるかということを大きなスクリーンで細部まで確認したいと思い、前よりの席に座りました。

そして各シーンにおいて、屋外であれば遠くに見える山の稜線、炭鉱事務所内であれば、備品や貼ってある掲示物に至るまで細かくチェックしました。
また一番確認したかったのが、炭鉱住宅街で、これがセットとの合成でないか?という点でした。

特に下のシーンに見られる、「屋根に天窓がついている炭鉱住宅」なんて、ちょっとあり得ないと思っていました。

しかし、炭鉱住宅の当時の配置図と山の稜線、小川の位置などを現在と照合しても、このシーンは合成ではないと判断しました。
手前にある「天窓のある建物」ですが、何か設計であるとか、細かい作業をするために、昼間でも太陽光を入れるためのものではないかと考えます。
また炭鉱は24時間操業でしたので、夜間にはこのような景観をつくっていたのでしょう。

スクリーンで観る「炭鉱街の夜景」は実に美しく、うっとりとするようなものでした。
もちろん、「炭鉱」という労働は熾烈極まるものであり、炭鉱マンやその家族たちは、毎日危険と背中合わせで暮らしていたわけなのですが、それ故「ヤマ」と呼ばれた炭鉱街は、鉱員同士の差別が入り込む隙間が無く、精神的・文化的に豊かな社会がありました。

「軍艦島」と呼ばれる端島を始め、県内各地にこのような炭鉱街が存在し、あたたかな夜景を作り出していたわけで、考えてみれば、それはなにも炭鉱街に限ったことではなく、各集落でそのような景観と夜景を作り出していたのだとわかりました。
それは、今のような何千万というLEDで意図的に創り出された商業的なものではなく、1つ1つの家庭の中の「裸電球」が灯すあたたかなオレンジ色の灯が集まってできたものです。

昔、幼い頃、稲佐山の展望台からみた長崎市の夜景は、今のような電灯だけや無機的なマンションの光ばかりではなく、山裾に点々と点いたオレンジ色の生活の灯が多かったように思います。
その頃の夜景の方が好きでした。

もう二度とみることも敵わない生活の灯、特に「自分が生まれるよりも前の炭鉱町の灯」なんて、逆立ちしたって見る可能性は無かったはずなのですが、本当に唯一天然色で見ることができるのが、この「空の大怪獣ラドン」の中なのでした。

同映画は、現在アマゾン・プライムやyoutubeなど多くの配信サービスで鑑賞することができます。
ご興味があられる方は、ぜひ一度ご覧になってみてください。





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