中学校美術教育について考える ④ 中学生に美術教育は必要なのか?
大学4年から、群馬県前橋市内の社会人の中に「フリースクールをつくる会」みたいなサークルに参加し、医師や僧侶、農業経営者など様々な市民と交流し、この頃自分の中に「教育の芯」みたいなものができたが、残念ながらそれは職業として成り立つようなものには至らず、親戚のつてで東京にある機械メーカーに就職した。
しかし、実態は「営業マン」とは言え、一日の半分くらいは渋滞の首都高の上で過ごすといったもので、何のやりがいもなく、一年に満たず退社し、教職を目指した。
「理想に燃えて」教師を中学美術教師を目指したわけではなく、「自分はやれるんだ」という自信を持ちたかったし、採用試験にピアノの実技があることから小学校を避けて、中学美術教師を選んだという面もあった。
それでも美術教師になったからには、大学時代から持っていた理想の教育に一歩でも近づけたかったし、実現もしたかった。
しかし、「現実」はとんでもないものだった。
当時はいわゆる「荒れた」時代であり、その中でも「大荒れの中枢」のような学校に配属された。
その頃、長崎市には「番長連合」と呼ばれる中学校を取り仕切っている生徒たちが連絡を取り合って、やりたい放題にしているという実態があった。(もちろんすべての学校がそうであったわけではないだろう)
その「番長連合のアタマ」がいたと噂される学校で、赴任直後からとんでもない逸話を聞かされた。
「生徒がガラスを割るのを教師がとめることもできず、ただ見ているしかなかった」
「若い女性教師が図書室に軟禁のようなことをされ、その後泣きながら職員室に戻ってきて、すぐ退職した。図書室は完全に取り仕切っていた生徒たちの溜まり場と化し、教師側はどうしようもなかった。」
そのような学校であったので、若い女性職員は危険だという理由から男性教員か年配の女性教員しかいなかった。
私は教師一年目、一年生のクラス担任になったが、当然二、三年生のクラスも授業を担当する。
果たして、三年生の最初の授業。
美術室のドアを開けると、ドアから一番近い机の上に、リーゼントで学ランの下にミッキーマウスのトレーナーを着た男子があぐらをかいて座っており、入ってきた私に、しきりに「ガンをとばして」いた。(つづく)
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