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私の子育て雑感 ① 倹約とケチくさいは違う 子どもには「その時にだけ価値のあるもの」がある
確か、「佐賀のがばいばあちゃん」の言葉だったと思うが、「ケチは最低。節約は天才」というのがあった。同感である。
節約、倹約ということは、人類の一員として基本のことと思う。
子どもが幼い頃から、その姿勢を示すことは大変重要だろう。
しかし、「ケチくさい」ことは違うと思う。
私が幼い頃、家庭は裕福では無かった。周りも大体同じ様なものだった。
しかし、子どもには「子ども時代にしか、その価値のないもの」がある。
私の娘がまだ幼かった時のこと。
街のスーパーの中にある小さな靴屋さんに、可愛らしい白いサンダルが置いてあった。ピンクのハートやキラキラした飾りがついている。
しかし、言っても、大して高価なものではなかった。
娘は、物を滅多に物をねだる方ではなかったが、そのサンダルは欲しがっているのが、よくわかった。
そして色々思案した挙句、買ってあげた。
帰ってから娘は家の中で、そのサンダルを履いて歩きまわり、夜眠る時、そのサンダルを枕元に並べて眠った。
今、成人した娘にとって、枕元に置いて眠るような、それほど愛おしく思えるような「物」は、おそらく無いだろう。
私の話。
うちはやはり貧しかったし、親は一切、物は買わない!と徹底していたので、一般的に子どもが欲しがるようなものは何も買ってもらえなかった。
小さなガムに漫画のキャラクターのついたもの。
キャラメルに付いている粗末な「おまけ」。
お菓子だけでなく、魚肉ソーセージやハミガキなども、欲しくてもただ眺めるだけだった。
ただひとつだけ覚えていることがある。
ある時、幼い私をバイクの後ろに載せて親父が、帰省先の佐賀の田舎道を走っていた。どこに行こうとしていたかなど細かなことは、覚えていない。
しかし、その日は、とっても暑い日だった。
商店街の前を通った時、親父がふいにバイクを停め、店先に置いてあった、麦わら帽子を私に買ってくれた。
帽子には「ケロヨン」のようなキャラクターがついていたが、正直粗末な麦わら帽子であった。
しかし、その麦わら帽子がとても嬉しくて、ずっとその帽子を大事にしていた。
そしてその時のことを今でもはっきりと覚えている。
子どもには「その時にだけ価値のあるもの」がある。
倹約と「ケチくさい」は違うのだ。
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