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フランス魂 ~ マルコ・マリ・ド・ロ神父

普段は、ひっそりと目立たないが、この国難とも言うべき苦しい時になると、再び私たちの前にその姿を蘇らせてくれる人がいる。

マルコ・マリ・ド・ロ神父(Marc Marie de ROTZ)
1840~1914(大正4年)フランス・ヴォスロール村出身

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像になってしまうと、いかにも神格化した伝説の聖人のように見えてしまうのですが、ド・ロはいたずら好きで茶目っ気があり、よく長崎弁でジョークをとばしたそうです。
つまりこの人も、ゼノさんと同じく、大変感じのいい人だったわけですね。

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しかし、彼が今でも土地の人に「ドロさま」と慕われる理由は、もちろんこの人柄だけではありませんでした・・・・


超人的な活躍をしたド・ロ神父も、長崎でのスタートは、大変きびしい状況の中にありました。
大浦天主堂において、「信徒発見」を成し遂げたプチジャン神父とともに長崎に着いた1868年6月7日は、皮肉にも明治政府によって「浦上キリシタン一村総流罪」の太政官達が公布された、その日でした。
ちなみにその総流罪とは、3,384名もの浦上地区キリシタンが捕縛され、夫婦、子どもさえバラバラにされた上で九州・中国の諸藩に送られたもので、ひどい拷問や飢餓のため明治6年までに660人が殉教しました。カトリック信者は、「何も罪を犯してはいない」として、非人道的な弾圧を「旅」と呼びました。
ド・ロはなすすべもなく、長崎の港から各地へ強制移送される信者たちの姿を大浦の丘から見送るしかありませんでした。

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最初、「愚昧の農民に正道を教え諭す」為と公言していた明治政府も、諸外国から、その非人道性を猛抗議されると、あっさりとキリシタン禁制の高札を撤去しました。260年にわたったキリシタン弾圧がようやく終わると、ド・ロの活躍が始まりました。
以下、長くなるので、箇条文にて記します。

・明治7年、九州を襲った台風後、長崎で赤痢が蔓延した折には、救護隊を結成し、治療にあたった。フランス時代医学と薬学を研究したことがあるド・ロは、新患者の迅速な発見、隔離、予防措置、消毒、病人の扱い方、看護人の感染予防など、当時の日本医療体制では想像もつかないほどの行き届いた看護体制をしくという活躍をした。まだ赤痢菌が発見される23年も前のことである。

・海難事故で働き手をなくした女性たちや仕事を持たない娘たちを集め、パン・マカロニ・そうめん・醤油・織物などの授産場を設けた。授産場はその後救助院として発展し、在俗修道女たちの生活の場であるとともに、貧者救済の社会福祉をすすめる場ともなった。ド・ロはそこで機織・染色・裁縫・製粉・搾油などの技術も教えるとともに、読み書き・算術なども講義した。
フランスから機織機を20台、ドイツからメリヤス織機を、オランダからは編み物用計算機を取り寄せ、自ら計算して図をひき、織り方を実践してみせた。

・修道院というのは、たてまえであって、修道女になるかどうかは本人の自由意志によって決めさせた。また修道女であっても、結婚を希望する者には、ド・ロが嫁入り支度をして、修道院から嫁がせた。

・地域産業の育成を考えていたド・ロは、零細農家救済のため、青年教育所を設けた。同所では農具の使い方や農耕法のみでなく、井戸堀や土木工事に関することも教授した。

・付近の原野の開墾を始め、綿・茶などを栽培した。他にもフランスより優良な小麦やじゃがいもの苗を取り寄せ、栽培・普及に努めた。

・産業を育てるために手すきのイワシ網工場を建てるが、採算が取れなくなると、閉鎖して保育所に改良し、200人ほどの子どもたちを預かった。

・潮流の変化によるイワシやイカの移動状況にも深い知識を持っていたド・ロは、イワシ網漁を指導し、合わせて豚の飼育も行った。

・北松浦郡田平町と平戸島の紐差(ひもさし)村に土地を買い、信徒家族を開墾移住させた。(現在両地とも立派な教会が建つ、大きな街となっている)

(画像は、ド・ロが指導したであろう外海・キリシタン墓地の石垣)

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日本に渡ってから46年間、一度も祖国へ帰ることなく、長崎・外海の地に眠るド・ロ。
手紙すらもめったに書かなかったド・ロが、妹マドレーヌの死を悼み、出した手紙の中には、「・・・私も高齢と病のために、まったく価値の無い人間になってしまいました・・・」という言葉があるそうです。

私たち、ひとりひとりは本当に非力を痛感しますが、このド・ロ神父の生き方を想う時、その精神と志の崇高さは今の時代においても、ひときわまぶしいものであり、「まだまだやるべきことは山ほどある」という決意を新たにしてくれるのです。
(画像は、ド・ロが建築にあたった出津教会前のマリア像)

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以下ド・ロ神父に関連する記事です。時間がありましたら、会わせてお読みください。


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