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炭鉱マンたちへのリスペクトから生まれた「ヨイトマケの唄」

wikipediaの言葉をそのまま鵜呑みにするのもなんですが、この「ヨイトマケの唄」を美輪さんが作るきっかけとなったのは、ある炭鉱町の炭鉱マンたちと家族の姿へのリスペクト(敬意)だったようです。

wikipediaによると・・・
『興行主の手違いで炭鉱町の劇場でコンサートをすることになったことに始まる。当時きらびやかな衣装でシャンソンを歌っていた美輪は、炭鉱町でのコンサートに乗り気ではなかったのだが、炭鉱労働者たちが安い賃金をつぎ込んでチケットを求め、客席を埋め尽くしているのを見て衝撃を受け、「これだけ私の歌が聴きたいと集まってくれているのに、私にはこの人たちに歌える歌がない」と感じて、労働者を歌う楽曲を作ることを決意したという』・・・・・・いい話ですね。

私たちが幼い頃、何か力仕事をする時に、この「父ちゃんのためなら、えーんやこーら・・」というフレーズは、実際よくつかっていました・・・。「ヨイトマケの唄」は誰かをさげすむような唄ではなく、身のまわりに普通にある言葉でした。当時は、額に汗し、リヤカーや自転車に荷物などを積んで、真っ直ぐに働く人が、それこそ大勢いましたので・・・・

「 ヨイトマケの唄 」 作詞作曲 丸山(美輪)明宏

父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もうひとつおまけに エンヤコラ

今も聞こえるヨイトマケの唄
今も聞こえるあの子守歌

工事現場のひるやすみ
たばこふかして目を閉じりゃ
聞こえてくるよあの唄が
働く土方の あの唄が
貧しい土方の あの唄が

子供の頃に小学校で
ヨイトマケの子供きたない子供と
いじめぬかれてはやされて
くやし涙にくれながら
泣いて帰った道すがら
母ちゃんの働く とこを見た
母ちゃんの働く とこを見た

姉さんかむりで泥にまみれて
日に灼けながら汗を流して
男にまじって綱を引き
天にむかって 声あげて
力の限りに うたってた
母ちゃんの唄こそ世界一
母ちゃんの唄こそ世界一

なぐさめてもらおう 抱いて もらおうと
息をはずませ 帰ってはきたが
母ちゃんの姿  見たときに
泣いた涙も 忘れ果て
帰って行ったよ 学校へ
勉強するよ と言いながら
勉強するよ と言いながら

あれから何年 経ったことだろう
高校も出たし 大学も出た
今じゃ機械の 世の中で
おまけに僕は エンジニア
苦労 苦労で 死んでった
母ちゃん見てくれ この姿
母ちゃん見てくれ この姿
 
何度か僕も  ぐれかけたけど
やくざな道は 踏まずに済んだ
 
どんな きれいな 唄よりも
どんな きれいな 声よりも
僕を 励まし なぐさめた
母ちゃんの唄こそ 世界一
母ちゃんの唄こそ 世界一
 
今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの 子守唄

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