私が対州馬を絶滅から救いたいと思う理由 その㉞
娘とひん太
ひん太がやってきた時、娘は小学校6年生で、卒業間近という頃でした。
娘は初めて、ひん太を見ると、ひと目で気に入りました。「私の馬!」と宣言し、休みのたびに馬の世話や餌やりについてきました。
タイミングとして、とってもよかったよかったと思うのは、あまり幼い頃では、馬を怖がってしまうし、高校生ぐらいになると、ほぼ部活動で毎日忙殺されてしまいますから。
私としても、まったくゼロからのスタートであった馬の飼養を、たった一人でやらなければならなかったとしたら、不安も倍増していただろうと思います。
しかし、娘が一緒に行くことによって、親子での同じ時間を共有できましたし、自然の中で馬と触れ合うという経験は貴重なものになりました。
何より手伝ってもらったことで、かなり助かりました。
青草採り、水桶掃除、毛すき、蹄の掃除、ハエ・アブ叩き、地質改良のためのおがくず混ぜ、えさ場のコンクリート・パネル掃除など、ひとつひとつが馬にとって大切な作業であるし、娘がひん太のそばで作業をしている、その姿は、私にとっては一生ものの記憶となりました。
特に、ひん太と娘が夏場に、同じ麦わら帽子を被って写真に写っているのは、見ていて大変ほほえましいものでした。
ひん太の方も、大いに娘を気に入ったようで、娘と二人で柵内にいると、なぜだか必ず、娘の後をついていくようになりました。
一度、たまたま娘と餌やりに行った時、ひん太は柵外に出ているということがありました。
まだ、調教もまったく進んでいない頃だったので、非常に焦ったのですが、ひん太は娘の後について、トコトコと柵内に戻っていきました。
たまたまその姿を見ていた私の連れ合いも、その光景に大変驚いていました。
「馬は、邪(よこしま)な人を見抜き、けっしてそのような人には従わない」という言葉があります。
その頃の私は、「なんとか、ひん太を役立つ馬にするために」という焦りがどこかににじみ出ていたのかもしれません。
小学生の娘は、それこそ、そういった力みも計算も無く純粋に馬をかわいいと思って接していましたから、ひん太が娘を慕っていたのも当然と言えば当然なのですが。
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