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ツアー・ガイド時代は、「芸人修行時代」だった

軍艦島ツアー・ガイド時代は、半年間であったが、振り返ってみればそれは教員時代よりも意味のある重要な期間であったと言って差し支えない。
一日に1便か2便、約3時間ほどを、全国からやってきたお客さんの前で喋る。
これは、私にとっては「芸人時代」そのものであった。

まず船に乗り込んだ時点で「前説?」は始まっている。
夏の間、まだエンジンは切ってありエアコンは効いていないので、船内は暑い。
そこで不快な時間帯が続くと、後でのネタうけ?に影響が出てしまうので、私は自費で100円ショップで団扇を大量に買い込んできて、お客さんに、「平成の時代になりましても、やっぱり夏は団扇ですよねぇ!」と配る。
こういうのが、後々効いてくるのだ。
出港前でもネタはいくらでも出来る。
船酔いの防止法を「フリップ芸?」のように説明したり、窓から見える三菱重工の本社ビルを「私の一族は皆、三菱に命を捧げてきたんですが、私だけがこうした体たらく出で・・・」と切り出す。
また小さな防波堤をさして、「皆さんの中に福山ファンの方はおられますか?あの防波堤がマサハルくんが、会社を辞めて東京へ出ようか思案した場所でございまして・・・」などといくらでもネタは出来た。

しかし、多くの芸人さんが言うように、まったく同じネタをやってもウケる時とウケない時があるから、不思議である。
そういう時は、もちろんネタを換え、内心「どうしてもウケるぞ!」と闘志を燃やす。
まったくカネにはならなかったが、楽しかった。
私のエンターティメント力?は、唯一この時に培われたと思っている。

この経験があったので、その後日本語学校で授業をやった時は、その前の中学教師時代よりも、格段にネタが面白くなったと思う。(もちろん公立中学は内容の制限?がガチガチでどうしようもなかったのだが)

人は誰でも一度は「芸人」を目指してやってみることは、ものすごくプラスになることだとさえ、思ってしまう。



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