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少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑰ ささやかだけど、心豊かな誕生日パーティー

命がけの「隠れ家生活」であるが、ミープ・ヒースたち協力者の尽力もあって、ささやかながらも、隠れ家の住人や協力者の誕生祝いが催されていた。
誕生日というものは、その日を知る家族や知人以外には、まったく普通通りの日なのであるが、祝おうとする気持ちさえあるならば、置かれた状況に関わらずこれほどまでに豊かなものになるのだ。
願わくは、このささやかな祝宴が、その後もずっと続いていって欲しかった。

1944年3月31日、金曜日

(前略)・・・勝利を祝ってモスクワではくりかえし祝砲が打ち鳴らされたとか。きっと、全市が一日じゅう家鳴り震動したことでしょう。はたしてそれが、また戦火が市街に迫ってきたふりをして、ふざけてみただけなのか、それとも、それ以外に喜びを表現する方法を知らないせいなのか、どちらともわかりませんけど。
ハンガリーはドイツ軍に占領されたままです。
ここにはまだ百万人ものユダヤ人が残されていますから、 この人たちはいまごろ、さぞひどい目にあっていることでしよう。
ここではとくにお伝えするほどのことはありません。
きょうはファン・ダーンのおじさんのお誕生日でしたけど、おじさんへの贈り物は、煙草二箱と、カップ一杯分のコーヒー豆――もっともこれは、おばさんがちゃっかり貯蔵にまわしてしまいましたけど。ほかには、クーフレ
ルさんからレモンパンチ、ミープから缶詰のサーディン、わたしたち一家からオーデコロン、枝築野ライラック二本とチューリップ数本。それに、そうそうスグリとラズベリーのパイのこともも書きもらしちゃいけませんね。粉の質がよくないうえ、バターもないので、ちょっぴりベたついたパイでしたけど、それでも、とてもよくできていました。
ペーターとわたしの仲をあげつらう声は、このところいくらかおさまってきています。今夜はペーターがわたしを誘いにきてくれることになってますけど、ずいぶんやさしいとは思いませんか?だって彼自身はこれを、すごく気の重いことだと感じてるんですから。わたしたちふたりは、とてもいいお友達になり、しょっちゅういっしょにいて、思いつくかぎりの問題を話しあいます。なによりうれしいのは、ちょっときわどい話題になっても、ほかの男の子たちとの場合のように、たえず自分に歯止めをかけなくてもすむということです。たとえば、血のことを彼と話していて、そこから話題が生理とか、そういった問題のことになりました。彼は女性が毎月そうやって血を失いながら、けろりとしてそれに立ちむかっているのを見るにつけ、女ってすごくタフなんだなと思っちゃう、そう言います。わたしのこともタフだと思ってるそうですけど、 いったいなぜなんでしょう。 
このところ、ここでのわたしの生活はずいぶんよくなっています。大幅に改善されています。
神様はわたしをお見捨てになりませんでしたし、これからもけっしてお見捨てにはならないと信じます。
               じゃあまた、アンネ・M・フランクより

アンネの日記増補新訂版 p426~427



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