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万能では無いが、石鹸を併用することで「環境」のことを考えよう

環境問題は、多種多様であるが、ここでは「水資源」という環境に関すること。

ある日、NHKラジオで誰かコメンテーターが言っていたのを聞きました。

「食器洗剤だとか、ガラス洗いだとか、種類がとにかく多すぎる。食器は普通の石鹸でも洗えるし・・」

確かに。

食器洗剤は気に入ったやつをボトルで備蓄してるし、「眼鏡シャンプー」なるものも切らさないようにしてる。同じようなものが他にもある。

そもそも「食器洗いは合成洗剤でないとダメ」という刷り込まれた概念があったことに気付いた。(ちなみにうちは食器洗い機は使っていない)
しかし、一方で合成洗剤が排水溝に毎日排出されることに、かすかな抵抗感もあった。

で、実際に試してみた。
何故なら、合成洗剤を購買する金額は、ばかにならないものだから。

結果、確かに事前の予洗いをしておけば、石鹸で遜色ない。
但し、水切れがやや悪くなると感じたので、拭くことが難しい水筒内などは合成洗剤の方がいいと感じた。

ガラスや陶器はもちろん、コーティングしてあるフライパンやプラスチックは合成洗剤よりも洗浄効果が高いと感じた。

あとは、手が荒れない。いつも像の皮膚のようにガサガサしている私の手のひらを触った息子が、「女性の手の様で、親父の手じゃない!」と言った。

一方、金属は油脂成分が残りがちで、合成洗剤の方がいいと感じた。

あと、よくすすぐ分、石鹸の方が使う水の量が多いかもしれないが、これは事前にボロ布でふき取る等の行為でだいぶ変わると考える。


石鹸の方が「水環境」に対し、万能とは言い切れないが、使い方や使い分けを考えることは、「水環境を考える」ことに繋がるのではないかと感じた。

また、無意識に不必要な物を購入し、環境に負荷をかけているという状態に一石を投じる効果もあるのではないかと。

現実、現代社会は毎日大量の水を消費し、本来野生生物が与えられるべき水資源さえもうばっている。

うちのような地方都市の小さな河川の水さえも、商業地区や工場地帯に供給するために上流付近で採水しており、コンクリートで固められた河川には、汚水がチョロチョロと流れるのみとなっている。

ここに、鷺やカモなどが餌を探している光景は、悲しすぎるものだ。

また、web上やTVには、アフリカの干ばつ地帯で泥水を家畜と一緒に飲む子どもたちの姿が毎日のように流されている。

こういうのを見ることに慣れてしまって、何も感じないし、行動する意識も持たないことが、何より怖い事だと思うのである。


もちろん、眼鏡洗いなどは私には石鹸で十分であって、専用のシャンプーは(私には)必要が無いと思った。実際に必要があるか無いかではなく、まず「本当にそうか?」ということを考え、試すという思考がまったく欠落していたことに気付いた。

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