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フォークシンガー 笠木 透の歌詞と言葉 「 一本の ヤシの木 」


一本のヤシの木

一本のヤシの木 誰のもの
一本のヤシの本 私のもの
一本のヤシの木 違います
一本のヤシの木 皆のもの

この土地は 私が 買ったのだ
私の土地に ヤシの木を 植えた
私の土地の ヤシの木なんだから
私のものだ そうさ そうなんだ

パパラギよ  お前の土地は
誰が作ったの  お前が作ったの
お前じゃないさ  私じゃないさ  誰でもないさ
大いなる神が  作ったのさ

ヤシの木の  種をまいたのも
こやしも水も  私がやったのだ
私が育てた  ヤシの本なんだから
私のものだ  そうさそうなんだ

パパラギよ  お前は なんにもしてはいないのさ
ヤシの木が芽を だしたのも 葉をつけたのも
根をおろしたのも 日に日に のびていったのも
太陽と大気と 大地があったから

パパラギよ 覚えておくがいい
お前の国では「 私の」と言う言葉と
「あなたの」と言う言葉は 別の言葉
サモアでは それは ひとつの言葉

※(くりかえし)



熟したヤシは、自然に葉を落とし実りを落とす。
パパラギは、葉も実も落すまいとするヤシの本のように生きている。
「これはおれのものだ!取っちゃいけない!。食べちゃいけない。!」
どうすれば、ヤシは新しい実を結ぶか。
ヤシはパパラギよりもずっとかしこい。

しかし、パパラギにはわかっていない。
神が 私たちに、ヤシや、バナナや、おいしいタロ芋、森のすべての鳥、そして 海のすべての魚を 与えたもうたことが。
そして私たちみんなが それを喜び、幸せにならねば ならないことが。
それは、決して私たちの中のわずかな人間だけを幸せにして、他の人びとを貧しさに悩ませ、乏しさに苦しめるためのものではない。

                   サモア諸島ウポル島酋長
                   ツイアビ


この地上に一人でも、飢えている人がいるかぎり、ぼくらの食事は、どこか楽しくはないはずである。

この地上に一人でも、働きたくても、働く機会と場所をえられない人がいるかぎり、働いていても、どこか気が重いはずである。

この地上に一人でも、戦争で死んでいく人がいるかぎり、生きていることは、うしろめたいはずである。

それが、なんともないとしたら、人間っていったい、なんだろう。
                 
                           ( 笠木 透 )

「FOLKS SONG BOOK」ラウラウ書房刊


こういうふうに、「当たり前」の言葉を、最近では耳に、目にすることが、本当に無くなってしまった気がする。

若い頃、出会ったこれらの言葉が、今ほんとうに懐かしくてたまらない。


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