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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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#キリシタン

上五島へ ~ 中ノ浦教会

長崎新聞の連載時代に、一個所だけ現地を訪れていない場所。 それが上五島でした。 端島や高島、池島といった炭鉱の島に魅せられ、その炭鉱とも縁の深かったカトリック教会(炭鉱マンには信者が多かったそうなので)。 先日歩いた北松では、炭鉱町は無くなっていても、点在するカトリック教会の場所で、かつての炭鉱集落の位置がわかりました。 ともかく、ここ上五島にゆくことになるのは、必然的なことに思えましたし、実際の上五島は予想をはるかにこえた、いい場所でした。 上陸した奈良尾港というのは、こ

上五島へ~男はつらいよ 寅次郎恋愛塾のロケ地

上五島行きで、ぜひとも訪れたかったのが、昭和60年、夏に公開された映画「男はつらいよ 寅次郎恋愛塾」のロケ地になった場所です。映画が撮影されてから、もうかれこれ25年ぐらいが経っていますが、渥美 清さんが立ち、眺めたその場所にどうしても行きたいと思っていました。 ポスターにもなっている教会は、丸尾教会です。周りは随分と変わったようですが、教会の白さと海の青さだけは変わっていないようです。この丸尾地区のおこりは、外海地方から迫害を逃れて移り住んできたキリシタンの子孫たちだそう

帆場岳/拝み石 ~ キリシタンたちが、二百年にわたりパードレを待ち続けた場所

先日、娘が進学の為、長崎を離れる前に最後に一緒に登った山、帆場岳に登ってみた。 今回は、その時には行かなかった直登コースを行ったのだが、あれから一年ちょっとの間に、山は激変していた。 山頂付近に何らかの新しい通信施設を建造する為に、重機が上がる林道が無理やり造られており、杉林をなぎ倒し、登山道をズタズタにして横切っていた。 這いあがるようにしてやっと、頂上付近まで登ったが、そこに待っていたものは、カトリックの古い史跡であり、聖地でもある「拝み石」であった。 これは、画面の

浦上天主堂の石垣

ただでさえ、石垣に惹かれる私なのですが、浦上天主堂のまわりにある石垣は、爆心地からわずかに500mという至近距離にありながら、その猛烈な爆風に耐え、今もその姿を保っています・・・。 熱線により赤茶色に焼けているのが確認できますが、倒れる危険性などはないということです。 もともと、この石垣、原爆で焼失した旧浦上天主堂(大正3年完成)の時代の、さらにもっと前、旧浦上村山里の庄屋屋敷の石垣として造成されたものです。(浦上教会が高谷家から、明治13年に買収) 石垣は庄屋屋敷ととも

長崎市の風景 ド・ロ神父ゆかりの資料館と橋口ハセ シスター

まだ学生時代のこと。 長崎に帰省して、時間があると、外海(そとめ)にあるド・ロ神父記念館にふらりと足を運んだ。 昼間、ほとんど人影も無く、静かな空間は私のお気に入りであった。 そして、展示資料を見ていると、いつの間にか橋口ハセ・シスターが入ってきていて、ド・ロゆかりのオルガンで賛美歌を弾いてくれる。 その優しい音色は、今でも私の耳の中に残っている。 シスターが亡くなられてから久しい。 動画は、当時私がシスターに頼んで、撮影させて頂いたもの。

かえって日本人への親近感を高めることとなった雲仙地獄でのキリシタン迫害

島原半島の中央にそびえる雲仙岳(正しくは普賢岳、国見岳など三峰五岳の雲仙連峰或いは山体)。 島原半島のシンボルであり、かつ国立公園第一号ともなった有数の観光地であるのは、有名なところです。 明治・昭和期の浮世絵版画師、川瀬 巴水が描いた雲仙、「天草より見たる 雲仙」は、静かなこの地の風情をよく表しています。 かつてはキリシタンの郷として栄えた後、島原の乱(或いは島原・天草の乱)により一時は荒廃したこの地方が、2015年の今、再び世界遺産を目指す「長崎の教会群とキリスト教関連

「Let it be !」・・と、ささやいてくれる大野教会のMother Mary

今まで巡ってきたカトリック教会というのは、ゴシックにしろロマネスクにしろ、高い天井と塔を持つものが多く、ヨーロッパの文化と建築様式を彷彿としたものが多かったのですが、この教会へ来てみると、そのイメージは微塵もありませんでした。 ご覧のように、殆どが「縦長」の建物である教会群の中で、この大野教会堂は、見事なまでの、ずんぐりとした横長です。 壁は、レンガでも漆喰でもない、石造り・・・。 この地特有の温石(おんじゃく)と呼ばれる水平に割れる石を積んで、間を砂や石灰などを混ぜたもの

長崎のキリシタンにとって苦難の時代に現れたパリ外国宣教会の神父たちは、「神以上の」存在となった

1986年に公開された「ミッション」。 イエズス会の南米への布教と植民地化への軋轢を描いた作品ですが、記事のタイトルを見ている内に、この映画をもう一度見たくなって、ネットで観ました。(しかし、レンタルDVDにも無いし、手頃な有料配信も無かったので、youtubeの英語版を観ました) 公開当時、自分は東京におり、仕事を辞めたばかりでしたが、何となく惹かれるままに小さな映画館で観たのでした。 今回、やっとこの映画の真髄が掴めた気がしました。 実に35年もかかっています。 こ

フランス魂 ~ マルコ・マリ・ド・ロ神父

普段は、ひっそりと目立たないが、この国難とも言うべき苦しい時になると、再び私たちの前にその姿を蘇らせてくれる人がいる。 マルコ・マリ・ド・ロ神父(Marc Marie de ROTZ) 1840~1914(大正4年)フランス・ヴォスロール村出身 像になってしまうと、いかにも神格化した伝説の聖人のように見えてしまうのですが、ド・ロはいたずら好きで茶目っ気があり、よく長崎弁でジョークをとばしたそうです。 つまりこの人も、ゼノさんと同じく、大変感じのいい人だったわけですね。

キリシタン流刑という弾圧を受けながらも千人近い棄児を養育した 岩永マキと十字修道会の女性たち(長崎のカトリック史)

岩永 マキ(1849~1920)の肖像。 写真すらほとんど残っていませんが、見る限り凛とした美しい表情をした人であることがわかります。 強さの中に秘めた優しさ、或いは優しさの中に秘めた強さ。そういうものを感じます。 上の写真の集合写真です。マキは前でも中央でもなく写っています。見る限り、文献にあるような大柄には見えません。 こちらの写真でも、手は細く小さく、体つきも華奢に見えます。 岩永マキに関する文献は、ほとんど見つけることができません。 聖母の騎士社刊「お告げのマリ