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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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#ド・ロ神父

私が紹介したい長崎 ④ ド・ロ神父が眠るキリシタン墓地が語りかけてくること

パリ外国宣教会の神父として、外海(そとめ)地方を拠点に活動し、生涯故郷フランスに帰ることなく、ここ出津(しつ)の地に眠っています。 旅行者はほとんど出津教会やド・ロ神父記念館を見学して、墓地には来ないと思いますので、ド・ロ神父が眠るカトリック墓地を紹介したいと思います。 「カトリック墓地が語りかけてくる言葉」をぜひ聞いてみて欲しいと思います。 墓地は、外海中学校(旧出津小学校跡地)の向かいの出津川を挟んだ山あいにあります。 墓地の前にはツーリスト用の駐車場があります。

「長崎最大の偉人 ド・ロ神父」は、典型的な提唱者型(INFJ) ①居留地・横浜では、追放された問題外国人だった

ずっと長崎の歴史を調べてきたが、何と言っても「長崎最大の偉人」と言えば、フランス人のマルコ・マリー・ド・ロ神父と岩永マキであろう。 時代背景もあるが、その偉業はスケールと質が違う。 ド・ロ神父は、その考え方や行動を知れば知るほど、今の「16Personalities」で言えば、提唱者型(INFJ)であることに間違いない。 その足跡を数回に分けて紹介してみたいと思う。 まず来日して滞在した横浜でのこと。 神戸でも長崎でもそうであるが、外国人居留地というのは、港を望む山手にあ

長崎市の風景 ド・ロ神父ゆかりの資料館と橋口ハセ シスター

まだ学生時代のこと。 長崎に帰省して、時間があると、外海(そとめ)にあるド・ロ神父記念館にふらりと足を運んだ。 昼間、ほとんど人影も無く、静かな空間は私のお気に入りであった。 そして、展示資料を見ていると、いつの間にか橋口ハセ・シスターが入ってきていて、ド・ロゆかりのオルガンで賛美歌を弾いてくれる。 その優しい音色は、今でも私の耳の中に残っている。 シスターが亡くなられてから久しい。 動画は、当時私がシスターに頼んで、撮影させて頂いたもの。

ド・ロ神父が眠るキリシタン墓地が語りかけてくること

パリ外国宣教会の神父として、外海(そとめ)地方を拠点に活動し、生涯故郷フランスに帰ることなく、ここ出津(しつ)の地に眠っています。 旅行者はほとんど出津教会やド・ロ神父記念館を見学して、墓地には来ないと思いますので、ド・ロ神父が眠るカトリック墓地を紹介したいと思います。 「カトリック墓地が語りかけてくる言葉」をぜひ聞いてみて欲しいと思います。 墓地は、外海中学校(旧出津小学校跡地)の向かいの出津川を挟んだ山あいにあります。 墓地の前にはツーリスト用の駐車場があります。

「Let it be !」・・と、ささやいてくれる大野教会のMother Mary

今まで巡ってきたカトリック教会というのは、ゴシックにしろロマネスクにしろ、高い天井と塔を持つものが多く、ヨーロッパの文化と建築様式を彷彿としたものが多かったのですが、この教会へ来てみると、そのイメージは微塵もありませんでした。 ご覧のように、殆どが「縦長」の建物である教会群の中で、この大野教会堂は、見事なまでの、ずんぐりとした横長です。 壁は、レンガでも漆喰でもない、石造り・・・。 この地特有の温石(おんじゃく)と呼ばれる水平に割れる石を積んで、間を砂や石灰などを混ぜたもの

長崎のキリシタンにとって苦難の時代に現れたパリ外国宣教会の神父たちは、「神以上の」存在となった

1986年に公開された「ミッション」。 イエズス会の南米への布教と植民地化への軋轢を描いた作品ですが、記事のタイトルを見ている内に、この映画をもう一度見たくなって、ネットで観ました。(しかし、レンタルDVDにも無いし、手頃な有料配信も無かったので、youtubeの英語版を観ました) 公開当時、自分は東京におり、仕事を辞めたばかりでしたが、何となく惹かれるままに小さな映画館で観たのでした。 今回、やっとこの映画の真髄が掴めた気がしました。 実に35年もかかっています。 こ

フランス魂 ~ マルコ・マリ・ド・ロ神父

普段は、ひっそりと目立たないが、この国難とも言うべき苦しい時になると、再び私たちの前にその姿を蘇らせてくれる人がいる。 マルコ・マリ・ド・ロ神父(Marc Marie de ROTZ) 1840~1914(大正4年)フランス・ヴォスロール村出身 像になってしまうと、いかにも神格化した伝説の聖人のように見えてしまうのですが、ド・ロはいたずら好きで茶目っ気があり、よく長崎弁でジョークをとばしたそうです。 つまりこの人も、ゼノさんと同じく、大変感じのいい人だったわけですね。