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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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#大黒恵美須市場

長崎市の風景 岩原川の暗渠の上にあった 大黒恵美須市場

今の県庁や長崎駅の、目と鼻の先にあった大黒恵美須市場。 原爆で廃墟とした街で、岩原川を暗渠にして、倒壊した商店などを集めたのが、その始まり。 1Fが店舗で、2Fが住居となっていた。 魚市場も近く、新鮮な魚が並んでいた。 朝な夕な、汽笛の音やカトリック中町教会の鐘の音が響く、私の大好きな場所だった。

親しみの持てる街の要素って何だろう? ~ 2012.1月半ばの大黒・恵美須市場にて

あんなにも明るい笑顔で迎えて、声をかけてくれた方のお店が遂に閉まってしまいました。 もうこの扉が開かれることは二度とありません・・・ 2011年12月の同じ場所 同じ場所を撮っているとは思えません・・・ 「自分の住んでいる街に親しみを感じる」「好きになる」また「誇りに思う」っていう要素とは何だろう?と考えてしまいます。 所得番付47都道府県中、いつも下から2~3番目という長崎であれば、「豊かさ」や「便利さ」はあがらないでしょう。 かつて「坂道だらけで大型商業施設の入り

長崎市の風景 中町教会と聖体行列

長崎市には、異国を想わせる場所がいくつかあるのだが、私にとって中町教会のある通りが、そのひとつ。 原爆被災時には、この辺りも写真のように壊滅的な被害を受けたが、中町教会の尖塔は、かろうじてその姿をとどめている。 長崎原爆の写真として、よく知られる写真が、下の一枚で、これも中町教会付近で撮られたもの。ちなみに、この女性の笑顔は派遣されてきた従軍カメラマン、山端 庸介による完全な「演出」であった。 その後、復興した長崎の街では、大黒恵美須市場とともに、「復興のシンボル」とも

またひとつ姿を消した故郷 ~ 大黒・恵美須市場撤去

昨年3月末をもって閉鎖された大黒・恵美須市場。その後長い間立ち入り禁止という状態が続いていましたが、平成25年になってから遂に解体・撤去されました。(元記事作成:2013年) 行政に関しては今更このトピックで云々言う気はありません。 でも、一年前の同地はこのようになっていたわけで、どちらが「長崎」の街として親しみが持てるかなぁと思ってしまいます。 まぁその論争も他に譲るとしても、下の画像にあるように、ここには長年「ヒトの暮らし」があり、雨が降れば、家族の傘が並ぶ・・という日

長崎市・昔の写真 「 大黒恵美須市場 」2012年1月20日

☆彡 10年前に撮った、大黒恵美須市場の写真。 狭い通路の両側に魚屋や居酒屋など店舗が数十件つらなっていて、二階が住居になっています。 被爆後、店舗・住居を無くした多くの被災者のために、岩原川を暗渠として造られた市場は、「長崎らしい」光景として好きだった所。 おそらく新県庁の移転先に近いことから景観を損ねるということで、様々な理由をつけて撤去・解体された地。 この中の数人とは未だにお客さんとして交流があります。 (2022年1月現在記)

「夏の子ども ~ 長崎・大黒恵美須市場にて」

「大黒・恵美須市場」は今年で約50年。 他の多くの市場と同じく、戦後ようやく戦禍・原爆禍から立ち直っていった頃にできた市場です。 元々長崎市中心部では、焼け跡にポツリポツリと立っていったバラックのお店から少しずつ市場を形づくっていった場所も少なくないと思いますが、この大黒・恵美須市場は元々今のJR長崎駅あたりにあった市場が、長崎市との契約によって小さな川の暗渠上に移ったものです。 しかし、その後50年、暗渠部のコンクリートの劣化が進んだとして、市側はこれ以上の契約の更

長崎/大黒恵美須市場の夏