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#アンネフランク

少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑰ ささやかだけど、心豊かな誕生日パーティー

命がけの「隠れ家生活」であるが、ミープ・ヒースたち協力者の尽力もあって、ささやかながらも、隠れ家の住人や協力者の誕生祝いが催されていた。 誕生日というものは、その日を知る家族や知人以外には、まったく普通通りの日なのであるが、祝おうとする気持ちさえあるならば、置かれた状況に関わらずこれほどまでに豊かなものになるのだ。 願わくは、このささやかな祝宴が、その後もずっと続いていって欲しかった。

少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑪ 日記のひとつのピークである部分 ~ 巣離れと旅立ち 

この日記が書かれたのは、日記が終わる5か月前のこと。 長い日記の中でも、アンネがひとつの結論めいた決意を記したといってもいい部分かと思う。 一見、両親への反発、特に母親への嫌悪のように思えるかもしれないが、もはや精神的に、そういう段階を遥かに過ぎていることがうかがえる。 つまり、自分を「未熟者あつかい」或いは「子どもあつかい」するという差別に対し、敢然と決別する決意を表明し、また独自のパラダイム(価値観を伴った、物事の見方・捉え方)に従い、より高い理想に向かって旅立つという

少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑦ プリミティブな人間の幸福に気付く

隠れ家から出られないという環境だったが、幸い屋根裏部屋からは裏の大きなマロニエだけでなく、アムステルダムの市街を見渡すことができた。 自分が愛し始めた人と、何も言葉を交わさずとも、プリミティブ(根源的な)人間の幸せというものを直感として感じ取っていることがうかがえる。

少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ③ 性善説

これは、ナチスのSSに連行される約一年前、アンネが14歳の時に書いた日記である。 これはアンネの日記であるから、当然アンネの価値観から綴られたものであることは当然である。 しかし、そのことをいくら差し引いても、少なくとも同居していた二人は、あまりにもアンネに対し、「一人の人格を持った人間に対して」語っているのではなく、「こざかしく未熟な存在」という扱いをしていたことがわかる。 そのことに対し、(誰もがそうであるが)アンネは、日記の中で理路整然と反論を展開しており、それはもっ