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2024年3月の記事一覧

「マヤの一生」を読む

「マヤの一生」を、この歳になって初めて読んだ。 SNSで「戦時中、飼っていた犬を供出せよと回覧板が廻ってきて子ども達が連れて行った。犬はどこかに散歩すると思って嬉しそうに尻尾を振っていたが、連れて行った先で、子ども達の目の前で絞殺され、泣きながら帰ったことを一生忘れられない」という投稿を読み、その中のやりとりで「マヤの一生」の話題が出たからだった。 もっと幼い頃、若い頃に、この本に出会うことが無かったことを悔やんだ。 私は教師であったが、この書を「戦争を考えるためのもの」とし

ストロベリーフィールズ・フォーエバー ~ ジョン・レノンが幼い頃遊んだ、自宅近所にあった救世軍孤児院

もし一度でも、リバプールに行くことができたら、最も行きたいのが、表題のストロベリーフィールズ孤児院跡(現在は、学習困難者の若者を支援する施設となっている)と、すぐ近くに合ったジョン・レノンが5歳からミミおはさん、ジョージおじさんと住んだ家があった場所(通称メンディップス)。 ジョンは、友達とこの孤児院の庭で遊んだといい、庭で行われるパーティーの音楽が聴こえてくると、ミミに「はやく、行こう!」とせがんだという。 母が比較的近くに住んでいたにも関わらず、5歳から叔母と暮らし始

少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑮ 母親の、娘に対する「あまりにも低い見積もり」

*** アンネの花、エーディトは同居する青年ペーターとアンネが親しくすることに、懸念あるいは不快を示し、アンネにそのことを忠告している。 母親としてそれは当然と言えば当然かもしれない。 しかし、母親に対して「ちっとも悲しいと思わない」と述べた後、ペーターに関する長い想いを比べてみると、それがあまりにも喰い違っていることがわかる。 やはりエーディトは、14歳の娘に対してあまりにも低く見積もっているとしか言いようがない。 外見の幼さ、若さと経験の長さは、精神の高さとは一致しない

モンテッソーリ式教育である純心幼稚園で、ルーツが中世騎士団という説もある「フレール・ジャック」を習った

Frere Jacques. Frere Jacques. Dormez-vous? Dormez-vous? Sonnez les matines. Sonnez les matines. Din din don! Din din don! フレール ジャック、 フレール ジャック ドルメ ヴー、ドルメ ヴー ソネ レ マチンヌ 、ソネ レ マチンヌ ディンダンドン、ディンダンドン カトリックだからなのか、当時の幼児教育の流行りだったのか、わからないが、純心

太陽のように温かな母親の人柄が、チャップリンの才能を開花させた ~ 「チャップリン自伝ー若き日々」を読む ⑥

*** 自分が生活することもやっとであるが、母ハンナは、少しでもお金が入ると、チャップリンたちを引き取る為に、貧民院にやってきた。 そのことは、幼いチャップリンにとって、どんなに嬉しかっただろうか。 生計が成り立つとか、そんな問題では無い。 なりふり構わず、世間体も何も考えずに笑顔で、自分を迎えに来る母。 「母の姿は花束のように見えた」と言う言葉は、まさにその嬉しいを通り越した感情を表している。

「軍艦島グラフィティ」 むらかみ ゆきこ

実は、私はイメージとして「軍艦島好き=廃墟マニア」?という偏見が強く、特に廃墟写真集とかは、手を触れたことすらありませんでした。 そんな頑固な私のココロをおしひらいてくれたのが、この絵本でした・・・・ 著者の村上さんは、6歳まで(昭和49年の閉山時まで)、軍艦島で暮らしていた方です。 その中の、この頁。『クァツン クァツン・・・「もうすぐだけんね」と お母さんの声・・・』 一体、どういう島だったんだ!?船に乗るためにトンネルって? そして海の中の小島のドルフィンって??

少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑭ 他から思われているほど傲慢でも自分勝手でもなく、己をとらえている

*** 「隠れ家」に潜伏していたアンネ以外の7人のうち、少なくとも6人は、アンネに対し、「子ども扱い」するという差別行為を行っていた。 その内、母親とデュッセル氏(日記上の仮称)は、その度合いが酷かった。 アンネがしばしば、「生意気」だとか「傲慢」と捉えられるのは、その差別に対する反発であり、人として当然のことであろう。 しかし、彼女はひとりの人間として、かくもストイックに自己をとらえ、また未来に希望を託していたのだ。