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炭鉱

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昭和30年代まで長崎県内に無数にあり、地域の発展を支えた炭鉱のこと
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#世界遺産

或る、軍艦島で生まれ育った方のサイトより ~ 「4.爺ちゃんのこぼした話」

*** 哀しい話である。 今、多くの観光客が「軍艦島上陸ツアー」で島を訪れているが、こういう話はまったく耳にしないこと。いや、できないこと。 「日本人に気に入られようと」というくだりが、本当に哀しい。 戦争とは、人の中に眠っている「差別」を、これでもかというくらいに増長させるのである。

軍艦島の設計

「アパートの博物館」とも言われる軍艦島。大正から昭和30年代まで、様々な時代のアパートが混在しています。かつて一度はアパートぐらしをしたことがある人なら、どれか1棟は、自分の住んでいたアパートに似た建物を見つけられるはずです・・・。 私の場合は、幼い頃住んでいた「隼(はやぶさ)」と名付けられたアパートが、↑この昭和25年に建てられた2号棟に感じがよく似ています。隼棟も推定では同年代に建てられているはずです。 さて軍艦島の鉄筋コンクリート製の住居アパート群は左図の左側半分に集

知られているようで、知られていない 三池炭鉱での坑内馬たちのストーリー

福岡県大牟田市一帯にあった三池炭鉱。 今では「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として世界遺産に登録された「宮原坑の竪坑道やぐら」が保存・公開されているが、そこは対州馬をはじめ、九州地方一帯から集められ、坑底に下げられた多くの馬たちの「墓標」ともいうべき建造物である。 明治から昭和初期にかけて、誰もが口をつぐんだ「事実」がそこにあった。

軍艦島になり損ねた島 ~ 中ノ島

軍艦島ツアーガイドをしていた時、軍艦島のすぐ横にある島(岩礁)、中ノ島について説明する際、「軍艦島の埋め立て前は、あの中ノ島よりも少し小さな島だった」と言うと、けっこう驚く人がいました・・・ ツアーでは、軍艦島の手前にあるので、中ノ島について説明を始めますが、ゲストの皆さんは、見えてきた軍艦島の姿に釘付けで、おそらく説明も耳に入っていません・・・ 関西や関東など、遠くから来た人も多かったので、それは無理からぬことですが・・・ これは、炭鉱があった頃の中ノ島の姿です。おそ