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炭鉱

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昭和30年代まで長崎県内に無数にあり、地域の発展を支えた炭鉱のこと
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#炭鉱街

炭鉱町に住んだ人々 ~ 子育て

本当は深いテーマなので、とても1トピックにはまとめきれないのですが、葦書房刊「写真万葉録・筑豊⑧地ぞこの子」の中にうまく言い表したと思われる文章があるので、紹介したいと思います。 まずこの「子育て」という言葉の響きには、通常「親・養育者・保護者」がイメージとして浮かぶと思うのですが、炭鉱町のそれについては、「町を構成していたコミュニティ」そのものが、それぞれの子どもを育てた・・・という意味が大変重要であることを先に述べておかなければならないと思います。 同書の帯には、次の

炭鉱町に住んだ人々~隣人との付き合い(2)

ある土地で人が生活をする場合、非常に苦慮する要因のひとつが、その土地の出身者か否か・・という「排他性」でしょう。 「よそ者」という呼称はポピュラーな言葉ですし、我が県においても、「居つき」「旅のもの」・・・など、他地区からの転入者を差別する言葉は、身近な場所にすら転がっているのが現実なのです。 また、そのほんの狭い地区。例えば小さな島の中でも、やれ海に近い所で生まれたか、山に近いか・・などで細かく差別し合い、争い合っているという場所もめずらしくありません。 日本の僻地を

炭鉱町に住んだ人々 ~ リリー・フランキー著「東京タワー」より

扶桑社刊、リリー・フランキー著の「東京タワー」はお気に入りの一冊ですが、その中でも最も好きな部分は、著者炭鉱町に育った頃のエピソードなので、少し紹介したいと思います。それが、このテーマのイントロとしてふさわしいと思いますので・・・。 (↓映画「東京タワー」より。CGですが、ボタ山の角度が、いくらなんでも急すぎますね。これだと炭車を引き上げるのが無理ですし、作業上も危険すぎます・・・・) 福岡県・小倉に産まれた中川氏(リリー・フランキー)は家庭の事情により、4才の頃、母と共

炭鉱町に住んだ人々~街の活気

「活気」という言葉の解釈は、人それぞれ違うかもしれません。ある辞書では「その場の人々の心に張りがあり、いきいきとした雰囲気が誰の目にもうかがわれる・・・」とあります。 個人的に解釈するのは、活気とは、「気」のベクトルがいろんな方向に、多く飛び交うこと」ではないかと考えます・・・ 画像は昭和34年、佐々町の炭鉱町でのスナップで、「薬売りの犬猫屋さん」とあります。 この薬売りさんは、奇抜な格好と巧みな口上で人を集め、笑いを巻き起こしながらいつの間にか薬を売った。特に炭鉱町は上

炭鉱町に住んだ人々~隣人との付き合い

(「写真万葉録 筑豊 大いなる火(下)」より) 現代建築、街づくりが目指しているものは、「プライバシーの尊重と安全性」のようですが、それらを尊重する一方で比例して増幅しているのが、「ご近所トラブル」であることも、また現実のようです。 「(TVや音響機器、足音、話し声、ペットの鳴き声など)音がうるさい」 「(深夜など)生活する灯りがまぶしい」 「ペットが出すにおいや排泄物がくさい」 「植木など植物の枝が邪魔、葉が落ちる」 「共同スペースに物を置いて、邪魔」・・・・・等の