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炭鉱

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昭和30年代まで長崎県内に無数にあり、地域の発展を支えた炭鉱のこと
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2022年4月の記事一覧

炭鉱町に住んだ人々 ~ 子育て

本当は深いテーマなので、とても1トピックにはまとめきれないのですが、葦書房刊「写真万葉録・筑豊⑧地ぞこの子」の中にうまく言い表したと思われる文章があるので、紹介したいと思います。 まずこの「子育て」という言葉の響きには、通常「親・養育者・保護者」がイメージとして浮かぶと思うのですが、炭鉱町のそれについては、「町を構成していたコミュニティ」そのものが、それぞれの子どもを育てた・・・という意味が大変重要であることを先に述べておかなければならないと思います。 同書の帯には、次の

軍艦島ツアー前後に、ぜひ一読を薦める 「1972青春 軍艦島」(大橋 弘 著)

フォト&エッセイであるが、写真集と言ってもよい本。 軍艦島が閉山となる1974年(昭和49年)の約1年前、カメラマンを志す一人の若者であった大橋氏が、50㏄のスーパーカブで東京から長崎にやってきて、たまたま賃金のよかった軍艦島(三菱鉱業所端島鉱)に半年間に移り住んでいた時に写した写真がメインである。 ただの旅行者やジャーナリストではなく、炭鉱労働者として生活した視点から撮影した大橋氏の若い感性が光る写真が多く、他の写真集とはまったく視点が異なる。 私は、写真に関してはまっ

炭鉱町に住んだ人々 ~ 「仕繰り」という仕事

仕繰り(しくり)というのは、坑道内に柱を立てたり、枠をはめたりして、坑道内を安全な状態に管理する仕事で、炭鉱にとって重要な仕事であるのは言うまでもないのですが、掘進や採炭という仕事に比べると、最前線よりは後方ということで、なんとなく安全で、地味というイメージがありますが、それはとんでもない間違いです。 まずは、坑道を支える鉄柱ですが、ある程度までトロッコなどで運ばれた後は、写真のように、人の手で運ばれます。簡単に担いでいるように見えますが、おそらく一般の大人なら数人がかりで