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炭鉱

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昭和30年代まで長崎県内に無数にあり、地域の発展を支えた炭鉱のこと
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2020年11月の記事一覧

「 竪坑櫓 」

「 竪坑櫓 」 この漢字を見て、すっと(たてこうやぐら)と読めるのは、ある程度「炭鉱」に興味を持っているヒトだけでしょう・・。 「三菱高島炭鉱端島鉱業所」のあった端島が軍艦島と呼ばれるようになった要因のひとつが、この竪坑櫓であることは、言うまでもないのですが、そもそも何故このような櫓があるのでしょうか? 岸壁を壊すような荒波や強風が吹き荒れるこの場所に、このような高さ47mもある櫓を建設すること自体が無謀のようにも思えます。 これは軍艦島にあった第2竪坑櫓です。この櫓

海中に沈んだ幻の炭鉱の島 ~ 三菱横島炭鉱

軍艦島に向かうクルーズ船からも見ることができるのですが、長崎市香焼町、香焼炭鉱の中心地であった安保地区から眼前の海を望むと、ちょうど潜水艦が浮上したような、岩礁が見えます。 この岩礁がある場所こそ、三菱横島炭鉱のあった場所です。下の写真は、貴重な操業時代の横島ですが、あまりにも島の姿が違います。 実は、この島、閉山後、海中に消えた「まぼろし」の島なのです・・・ 明治17年の「西彼杵(にしそのぎ)郡村誌」によると、「横島は、東西330m、南北61mで、人家・耕地なし。松樹疎

かつての炭鉱町にあった小学校跡地にポツンと残る、或る人の一生ものの記憶

『 私は、神林で、四年生まで、いました。それから、伊王島にいきました。 神林の時の、思い出は、記憶がありません。残念です。 私の祖父は、鍛冶屋でした。うたがうらでした。 神林の学校は、楽しかったことだけ、記憶にあります。 本当に記憶がないんですよ。 先生が優しかったです。それだけ、おぼえています。 神林の一年生の担任は、ふじまつ先生かもしれない。女の先生でした。 クラスの子が、床に何かを、こぼした時に、私が床をふいてあげたら、先生が私に、優しいね、といってくれたのを、今も覚え