広島で思ったこと

広島県広島市は川が多い。

元安川沿いのイタリアンレストランで朝食をとっていた、朝日がベランダ越しに差し込んできて鳥の囀りが聞こえる。とてもゆったりとしており、「平和」や「癒し」という言葉が似合うような空間だった。

しかし、ここは平和とは対極の歴史を持つ場所でもある。

対岸の緑の公園は平和公園であり、レストランから徒歩2分に原爆ドームが在る。

この辺りは75年前は原爆により瓦礫の街と化した中心部である。

「75年間は草木も生えず、人も住めない」と言われた当時から丁度75年。ここ75年間で広島は予想されたより早い段階から草木が生え、人が棲むようになり、今や中国地方最大級の都市となっている。

人間の強さを体感できる都市だ。

75年前からは打って変わって平和である、しかし、「こんな所で平和だなあ、とぼけっとしてて良いのだろうか?」という思いが片隅にあった。

私は生まれてこのかた戦争や紛争に巻き込まれたこともなく、有難いことに貧困や食うに困る状況に直面した事もない。

しかし、世界のどこかでは戦争は続いていて、飢餓で死ぬ人も少なくない。日本においても貧困率は高く、親の貧困がそのまま子どもの将来に影響している。

自分に深く関わらないから、声を上げず、深く考えないということは逆に自分の事になった時に誰も考えたり救ってくれたりしないという事だ。ドイツの牧師で反ナチス運動家であるマルティンニーメラーが残した偉大すぎる訓示でもある。

人間衣食足りて礼節を知ると言う、つまり余裕がないと周りのことなんて気にできない。その日暮らしの人間が10年後や政治の話なんてする余裕は無いのだ。ならば、少しでも余裕のある私は考えるべきことを考え、行動に出るべきだろう。

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