見出し画像

言いたいことがあるんだよ!

ねえよ。

インターネット力って基本何かしら言いたいことを言う力だと思ってるけど、最近人に言いたいこと、マジでない。もうなんもない。本当にない。ない。ない。あらゆる出来事に対してへ~以上の感情がない。

画像1

この顔。このマジで何考えてるか分かんない顔でインターネットしてる。でも魔理沙って結構作中頭回る描写が多いし(実際紺珠伝でも起こった出来事を整理してから解決にあたってる節がある)、森に籠ってる理由も人が寄り付かないからだし、がっつりネアカって印象もないな。

ツイッターで俺のホームに飛べば意味ある風なツイート連ねてるように見えるけど俺のインターネットの本質全部これ。何もない、そこに。適当。虚無。鳴き声。一週間気分がこのあり様だから、上に貼ったみたいにテーマを募集した。これ基本ずっと募集続けてるんで思いついたら投げてください。

画像2

で、来たのがこれ。初っ端から重すぎ。一通しかこなかったのでありがたくテーマにさせていただきます~くらい言いたかったけど無理。創作してない奴に聞くテーマじゃない。

俺が持ってるのはあくまで消費してる側としての視点だけなので、深いこと期待されても困るんだけど、その営み自体が存在する意味はないと思ってる。呼吸することに意味を見出すことは出来るけど、他人とその意味が真に合致することはない。創作の目的だとか意味も、生きることと同じように創作者が各々見出して、その創作がペラくならないよう芯として表現の中に入れ込むもの(わかりやすく例に出すと作品のテーマだとか、そのテーマを据えようと思った創作者の思想)なので、一義的にこれ!ってもんがないってのが答えになる。意味はなくても、受け取る側にとっては無価値じゃないことも往々にしてあったりするので。

「ルックバック」だったり「映画大好きポンポさん」だったり、創作内創作みたいな形で創作論を物語に入れ込んで、それと展開を一致させる作品に触れる機会があったけど、根底に流れる己のマインドの表出方法として表現を見出すのは、創作をしてから初めて気づく場合がほとんどな気がする。後付けのもん全部取っ払うと、一番多い目的とか意味は好きだから自分もやりたかったくらいに落ち着くんじゃないかな。分かった気になってるみたいに思われるのも嫌だから断言しないけど。

ただ、俺の好みとして自分の創作に対して明確な目的、意味がある人間の方が表現にコクが出てるので、この辺創作者には割り切り過ぎてほしくないな。幸せじゃない奴の創作が見たい。いやもう幸せじゃない奴が見たい。

行き先も実は既にずっと前から失くしてたんだ 着いた場所、着いた場所でここが目的地だって言い張るんだ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?