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※復刻版 歴女の豆知識※ 最弱でも生き残る教訓ー小田氏治。

どうも!先ほどでてきたのにすみません。
私が戦国~江戸時代で好きな人物は
鼻毛で守った百万石。加賀(石川県)の名君、前田利常(としつね)(前田利家の息子です)かなりメジャーですね。

強かったし、実際は悪人ではないのに、いかんせんまわりと甥っ子のクセが強すぎた
鮭大好き、鮭様こと、最上義光(もがみよしあき)
妹の義姫はみなさまご存知
あの伊達政宗の母親です。

馬に乗れなくても、戦が出来なくても民に愛された
のぼう様、こと
現在の埼玉県行田市にあった忍城(おしじょう)の城主、成田氏長(なりたうじなが)のいとこ
成田氏親(うじちか)。
のぼう様の由来はでくのぼう、からきています。

こちらは映画「のぼうの城」をおすすめします。同名の小説が原作です。

いま生まれてたらサッカー選手としては一流かも?
実父を討たれた織田信長にも称賛されたほどの蹴鞠の名手。
今川氏真(うじざね)。

そして今回は九回城を奪われても
最期まで生き残った、戦は最弱、スポーツなら監督としては不適格。
それでも民と家臣に愛された
小田氏治(おだうじはる)です。

ギャグじゃないですよ。
ホントに九回城を奪われて、そのたび取り返してはを八回繰り返した、実在の人物です。

愛されていた、というのは
これだけ負けていたら、下剋上は当たり前の戦国時代。
さすがに『こりゃあかん』と家臣に討たれたり、
主君を変えたりするものだと思うのですが、
そのたびに民も家臣たちも奮闘するというスゴさ。

愛されてなければできないかなと思うんですよね。

のぼう様も民と一緒になって
よく農作業を手伝うものの
実は、お手伝いが邪魔になっているにもかかわらず
受け入れてもらえる愛され力。
(彼はものすごく不器用だった…。馬に乗れないのも事実です)

また、石田三成の城攻めの際、
水攻めにあっていたときに船で踊っていたのぼう様が矢で射られて怪我をしました。
幸い命に別状はなかったのですが、(船で踊っていたことに関しては一応スルーで)(^-^;

民たちは大激怒で堤防を壊されています。

それに匹敵する、いや、城主なのでそれより上をいくのが
小田氏治かなと思います。

戦の実力はおいといて、
人柄は悪くはないと思います。
むしろ良かったと考えないと不思議過ぎるんですよね。

なんせ八回城を奪還してるって
まあ…ないですよね。
それ以前に城をとられすぎですしね。

前の記事でみんな人生で失敗してない、とはいいましたが、
とりあえず戦歴では失敗にカウントせざるを得ない感じですね。

そんな小田氏治。
最弱でも生き残る彼のすごさを、
お伝えできればなと思います。

※今回の記事作成にあたり、
Wikipedia、小田氏治の項目を
参照しました。※

小田宇治は戦国時代の武将で、
常陸国(現在の茨城県)にある小田城主でした。

茨城県といえば私も大好きな納豆の名産地。
その納豆のように粘り強く戦い続けたお殿様と家臣、民の存在した所です。

実は、もとは藤原氏、源氏の流れを汲む名家です。

戦乱の世の中、
名家は滅びていくわりには、一番善戦したというか、
諦めなかった根性はすごいです。

しかも周りは強敵だらけ。あの上杉謙信もいました。

むこうが天才的な戦上手ですが、その真逆で生き延び、最期は城を取り返すことは叶わず、
秀吉によってつぶされたものの
越前(現在の福井県)で畳の上で大往生しています。

そして、なんで八回も城を取り戻せたのか?

それは、侵略してきた新しい城主にそっぽをむき、民は氏治に年貢をおさめ、家臣も寝返るどころか
氏治の再起のために奮闘しました。

つまり、今だったら、
この県知事じゃなきゃ嫌だ!
と県民がストライキを起こしている状態です。

そこじゃない!
ってところを攻めてしまうセンス。
今じゃないってタイミングで攻めてしまう間の悪さ。

ある意味天才的なまでに戦のセンスがありませんでした。

ただ、人望だけはありました。

戦の強さでは最強クラスの武田勝頼は人望がありませんでした。

軍神、上杉謙信は強いけれども、野望はありませんでした。

そして、同じ「おだ」でも織田信長が登場し、一気に時代が変わります。

同じ名家では、今川家がありますが、みなさまご存知のとおり、すでに信長に潰されています。

氏真も生き残り、家康の時代まで天寿をまっとうするのですが、
生涯の戦回数が比較にならない。

そして、城を追われたあとも
氏治への忠誠心に感心した家康に取り立てられた家臣もおります。

そこまで慕ってもらえる人物ってなかなかいませんよね。

フォローをするとするなら、
若くして家督を継いだため、いろいろ経験値が不足していたこと。

ですかね。悪い人ではないと思うんですよね。

そんな絶好のチャンスなのに
下剋上をする家臣が実質いなかったこと。

むしろついてきてくれたからこそ
八回も城を取り戻せたのかもしれません。

今って、確かなものは何もないですよね。

終身雇用でもないし、いつなんどき、何が起こるかわからない。

この時代も当然そうなんですが、
この人ならついていく。
人生をかけてもいいって思ってもらえることはすごいですよね。

私たちが彼から学ぶとするなら
1日1日を悔いなく過ごすことかなと思います。

度重なる戦で城だけでなく嫡男を失っても、
従いつづけた家臣と民たち。
氏治も彼らも、決して諦めなかった。

日本にはこんな武将もいたんだな、と知ってもらえると嬉しいです。

歴史って、興味もてない要素が多いですよね。
漢字むずかしい、時代ややこしい、世界史も名前がにたような感じ。

一人でも面白いなという人物を見つけてもらえたら、興味がわくといいなとおもって書いています。

私自身もそうだったので、
すこしでも記事がお役に立てたら幸いです。(*^^*)

ついつい気になりすぎて、本日は二回更新になりましたが
読んでくださってありがとうございます。

また前に書いていた記事も時間がかかるかもしれませんが
書き直してみようかと思います。

今日も記事が書けることに感謝しつつ、薄く小田氏治を紹介させていただきました。

どうぞよい1日をお過ごしください(*^^*)















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