Contamination
それは「混在」または「忘却」の記録
「欠落病」
それはある地域でのみ、発症が確認されている未知の奇病である。症状は、何かが欠落すること。その対象は記憶、行動、感情など多岐にわたる。原因は特定されておらず、感染症であるのかもわかっていない。また、この病にかかった人物が謎の失踪を遂げる連続失踪事件が起きていた。
阿瀬比はこの奇病と失踪事件を追いかけるフリーの記者だが、突然発症し「恋人の記憶」を失ってしまう。重症と診断された阿瀬比は、欠落病の重症者を集め、保護観察を行う療養所へ送られる。
世界中の花を集めた植物園を持つ療養所で、阿瀬比は様々な欠落病の患者と出会う。
ある日、足を踏み入れた植物園で遭遇した「弟を探している」という水尾という男に不思議な違和感を覚えるが…
登場人物
阿瀬比(記者)…欠落病の患者。新しくサナトリウムにやってくる
桔梗(医者)…サナトリウムに常駐している。自身も欠落病の患者
橘(花屋)…患者。サナトリウムの植物園に咲いている花を販売している。
水尾(植物学者)…患者。サナトリウムの植物園を管理している
香澄(フリーター)…患者。サナトリウムの生活が気に入っている。
夏目(刑事)…失踪事件を調べている。患者ではない。
柾木(刑事)…失踪事件を調べている。患者ではない。フリーターの兄。
1、欠落病(lack life syndrome)
ある病院の診察室。桔梗が阿瀬比を診察している。
桔梗 これは、なかなか重症ですね。
阿瀬比 嘘だろ?
桔梗 医者が診察室で嘘つくわけないでしょう。
阿瀬比 それはそうだけどさぁ、先生!
桔梗 症状が明白じゃないですか。
阿瀬比 いや…本当に知らないんだって。会ったことも無い人が俺の婚約者なわけないだろ!
桔梗 でも、写真がたくさん残ってるじゃ無いですか。ほら、ディズニーランド、ピューロランド、健康ランド。ランド好きなんですか?
阿瀬比 合成だ。
桔梗 誰が?何のために?
阿瀬比 俺の失墜を望むやつとか
桔梗 恨みは買ってそうですが、その線はないと思いますよ。もう、何度目ですかこの話。そろそろ処方箋を渡したいんですが。
阿瀬比 いらない。
桔梗 (ため息をついて)あのねえ、阿瀬比さん。ショックなのはわかりますが受け入れて治療していきましょう。協力しますから。
阿瀬比 いや、でも
桔梗 あなたは、ラックライフシンドローム、
通称「欠落病」の患者です。間違いない。
阿瀬比 俺は病気じゃない!
桔梗 記憶の欠落は重症度が高いんです。あなた、私が誰だかお忘れじゃないですよね。
阿瀬比 …「桔梗雅巳」欠落病の専門医だ。
桔梗 その通りです。あなたの取材も何度も受けたでしょう。そろそろ観念してください、阿瀬比さん。
阿瀬比 …俺はこれからどうなるんですか。
桔梗 別にどうも。
阿瀬比 どうも?
桔梗 ああ、阿瀬比さんの場合は症状が重めですから、うちの病院が持っている療養所に入所してもらうことになります。そこで投薬治療をしながら生活しますが、今のお仕事は続けていただいても構いませんよ。
阿瀬比 え?
桔梗 欠落病は、人生における何かが抜け落ちる病です。元々この病気について記事を書いていたあなたはよくご存じたと思いますが
阿瀬比 まあ…
桔梗 欠落したものが日常生活に支障をきたすとは限りません。むしろ、生活は通常通り…いえ、もしかしたら欠落病にかかる前よりも穏やかに暮らしている方も多い。
阿瀬比 なくした方が幸せだって言うのか?
桔梗 まあ、人に寄ります。あなたの場合は「恋人がいたという記憶」のみが抜け落ちている状態なので、範囲は広けれど生活に支障はない。ですから、療養所を拠点にして記者のお仕事をすることは可能ですよ。
阿瀬比 記者じゃなくてジャーナリストだ。
桔梗 失礼しました。入所の手続きはこちらで済ませておきますから。準備をしてまた明日、お越しください。じゃ、お大事に。
忘れたものを栄養にして、植物園に花が咲き誇る。花が水尾を取り囲む。阿瀬比が水尾を追いかける。花に阻まれる。花が散ると、そこには何も残っていない。
山奥の療養所。阿瀬比がやってくる。
大きなボストンバッグを抱え、手にはカメラを持っている。
ぐるりと周囲を撮影する。橘がやってくる。
橘 こんにちは、阿瀬比さん?
阿瀬比 …あんたは?
橘 ここの入居者です。
はじめまして、橘と言います。よろしくお願いしますね。
阿瀬比 はあ。
橘 失礼しまーす。(と阿瀬比のカメラを取り上げる)
阿瀬比 ちょっと、何なんだアンタ!
橘 ここ、撮影は禁止なんで。記録ならメモで。
阿瀬比 録音は
橘 ダメです。患者さんのプライバシー保護のためにご協力お願いしますね。あなただって患者さんなんだから、お互いルールは守りましょう。ね。
阿瀬比 俺は納得してない。
橘 桔梗先生の言う通りだなあ
阿瀬比 なんだと?
橘 いえいえ。これは桔梗先生に渡しておきます。
阿瀬比 壊すなって伝えとけ
橘 さあ、それはどうでしょう?
阿瀬比 お前…
橘 あはは。冗談ですよ。それじゃ、お部屋をご案内しますね。
橘が歩き出す。阿瀬比が渋々後をついていく。
刑事が2人現れる。
夏目 …暑い
柾木 そうですか?下界よりだいぶ涼しいですけど
夏目 夏は嫌いなんだ。ベトベトするし。
柾木 はあ
夏目 だいたい、なんで私たちがこっちの担当なんだよ。
不公平だと思わないか?
柾木 しょうがないですよ。所轄は雑用。先輩に習ったでしょ。
夏目 さっさと聴取とって帰ろう。
柾木 お化け出そうですもんね
夏目 お化けよりもっと怖いのが出てきたらどうする?
柾木 えっ、なんですかそれ
夏目 行くぞ。柾木、事務所どっちだっけ?
柾木 あっちだったと思いますけど…
夏目 すみませーん、警察ですけどぉー!
柾木 夏目さん!そんなおっきな声で!!
夏目 すみませーん、誰かいませんかー?
柾木 夏目さん!
夏目が去る。柾木がため息をつき、療養所を睨んでついていく。
橘と阿瀬比がやってくる。療養所を案内しているようだ。
橘 覚えました?
阿瀬比 北が入り口、中央に温室、その周りが花壇。アンタが世話して外に卸してる。南が患者の生活棟。東に生活用の施設。コンビニ、床屋、本屋、コインランドリー。生活に必要なものは東に行けばある。無ければ注文。西は研究施設。桔梗はだいたいここにいる。
橘 さすがライターさんは記憶力がいいなあ。
阿瀬比 ジャーナリストだ。
橘 なんか違いあります?それ。
阿瀬比 …ある。
橘 へえ。
阿瀬比 (見回して)スタッフはいないのか
橘 ええ。自分たちで運営していくのがここの方針です。ここで働けばお給料が出ます。
阿瀬比 患者同士で日常ごっこか
橘 元の生活とかけ離れないようにと言う桔梗先生の図らいです。敷地の中は自由に移動が可能ですし、許可が出れば外に出ても構いませんよ。
阿瀬比 …気味が悪いな
橘 すぐに慣れますよ。みんな優しい人達ばかりですから。ね。
香澄がやってくる。
香澄 橘さん!
橘 ああ、どうもどうも。
香澄 あ、この人が?
橘 そう、今日から入所の阿瀬比さんですね。
香澄 はじめまして。柾木香澄といいます。
阿瀬比 …どうも
香澄 なんか困ったことあったら言ってくださいね。
阿瀬比 …どうも。
橘 香澄さんはどちらへ?
香澄 温室です。水尾さんがハーブティー作ってくれたっていうから。
橘 あ、いいなあ。僕まだ呼ばれたことないのに。
香澄 橘さんは毎日行ってるでしょう?
橘 そうだけど、半分仕事だからなあ。僕もお茶したいなあ。
香澄 (嬉しそうに)いいでしょう。
橘 今度はぜひ一緒にって、水尾さんに伝えといてよ。
香澄 はーい。じゃ、またお夕飯で。
橘 はーい。
香澄が去る。
阿瀬比 ミオ…?
橘 温室の管理をしてくれている学者さんです。
住まいも温室にあるんで、行く時はちゃんと
アポ取ってくださいね。
阿瀬比 …(温室を睨んでいる)
橘 どうしました?
阿瀬比 さっきのやつは
橘 ああ、香澄さん?
阿瀬比 あいつも患者なのか
橘 そうですよ。お部屋は阿瀬比さんのお隣。
仲良くしてくださいね。
阿瀬比 病気、なのか?本当に?
橘 ええ。ここには欠落病の患者さんしか居ませんから。あなたも含めて、ね。
阿瀬比 何が欠落してるんだ。あんたも、あいつも
橘 (遮って)それ、聞くイミあります?
阿瀬比 意味って
橘 プライバシーの侵害でしょ。
阿瀬比 治療する気はあるのか
橘 当たり前じゃないですか。だからここにいるんですよ。
阿瀬比 俺にはそうは見えない。何を隠してる?
橘 仕事なら外でしてくださいよ。ね、阿瀬比さん。
阿瀬比 …。
橘 さ、部屋はここです。夕食は18時半から20時までですから、遅れないように。食べ逃したら東の棟にどうぞ。
阿瀬比 なあ、あんた
橘 僕は花の剪定があるんで。また後で。
橘が去る。阿瀬比が残る。荷物を置いて、手帳を開く。
阿瀬比 一日目。1人部屋を与えられる。ベッドとトイレ、小さめのクローゼットとシャワー。棚のついたデスク。まるでビジネスホテルのようだ。桔梗医院の療養所は、敷地内がまるで一つの街のように機能している。必要なものは全てここにある。入所者はざっと50人を超え、この小さな箱庭の中で“幸せに”暮らしているらしい。「何か」を無くしたまま。それは、本当に幸せなのだろうか。(手帳を閉じて)……柄じゃねえな。
阿瀬比が去る。
2、療養所(sanatorium)
夏目と柾木がやってくる。
夏目 あれ?
柾木 さっき、診察室にお入りくださいって言われましたよね?
夏目 ああ。なんで聴取が診察室なんだ?居心地が良くないな。
柾木 相手はお医者さんですからね。
夏目 桔梗とかいう欠落病専門の医者だっけか?胡散臭
柾木 夏目さん。
夏目 何だよ。
柾木 そういうこと大きな声でいっちゃダメですって
夏目 なんでよ
柾木 なんでって…
桔梗 失礼な人だって思われるからですよ。
いつの間にか桔梗が現れている。
柾木 びっっくりした…!
夏目 あなたが?
桔梗 桔梗雅巳と言います。警察の方は随分と礼儀がないんですね。ああ、それともあなたも患者さんなのかな?
夏目 患者?
桔梗 ええ。欠落病の。
夏目 は?なんで私が。
桔梗 「礼儀」を欠落させてしまったんじゃないかと思いましてね。
夏目 貴様…
柾木 夏目さん!ストップ!
桔梗 あはは、これは重症だ。
柾木 先生も、煽るのはやめてください。今日はお話を聞きに来ただけですから。
夏目 なんだ、お前知り合いか?
柾木 …ちょっと事情がありまして
夏目 事情?私に話せないことでもあるっていうのか
柾木 後で話します。とりあえず先に仕事しないと。
桔梗 柾木くんはいつでも面倒見がいいんだねえ。で?今日は何の用?
柾木 …これの件で、ご相談を。
柾木が書類のファイルを出す。桔梗が受け取り、中身を見聞する。
桔梗 「欠落病患者失踪事件」ああ、最近やたらと騒ぎになってますね。これがどうしたの?
夏目 単刀直入に聞く。お前、この事件に関わりはないか?
桔梗 (笑って)どうして私が
柾木 失踪者が全て、ここの療養所に通っていた記録があるからです。
桔梗 へえ。ああ、本当だ。知っている名前ばかりだ。でも、みんなすでに退所していますよ。
夏目 退所?本当に?
桔梗 …どういう意味です?
柾木 失踪者は6名。全員、ここを出た後に失踪したことになっています。
桔梗 そうみたいだね。
夏目 退所の記録はあるんだよな?
桔梗 もちろんです。といっても、記録してくれたのは橘くんですけど。
夏目 橘?
桔梗 ええ、ここの事務方を手伝ってもらっている患者さんです。
夏目 患者が?
桔梗 日常生活に支障のない方達には、ここの運営を手伝ってもらっているんです。普通の生活を忘れないためにね。
夏目 普通、ねえ。
柾木 (いなして)夏目さん。(桔梗に)その人たちが退所した後に連絡は取られました?
桔梗 いいえ。出た後はそれっきり。元気にやっているのかと思いました。ご家族の皆さんは?
柾木 それが…会っていないんです。
桔梗 会っていない?
柾木 ええ、その人たちが退所したって連絡をもらったご家族は、誰一人として本人に会っていない。彼らは、誰かに会う前に姿を消してしまったんです。つまり
桔梗 本当にここを出たのかわからない…?
柾木 …想像の域ですが。
桔梗 なるほど、刑事さんは想像力が豊かだね。
夏目 ここ、できたのは5年前ですよね。
桔梗 そうですよ。元々別の研究施設が入っていたのを私が買い取って療養所にしたんです。
夏目 その年から毎年、失踪者が出てるんです。おかしいと思いませんか。
桔梗 気の毒だなと思います。せっかく、治ったのに。いや、治らないようが良かったのかもしれませんね。
夏目 一番最近の失踪者が出たのは、3ヶ月前。5月のことです。その前は去年の7月、さらにその前は一昨年の5月
桔梗 なぜ5月に集中するんでしょうね
夏目 だからそれを聞いているんだ!
桔梗 大きな声を出さないでくださいよ。私は何も知りません。
夏目 失踪者のカルテを見せろ。それから開設当初からの入退所記録もだ
桔梗 令状はありますか?
夏目 何?
桔梗 協力、ということでしたらお断りします。患者さんの大切な個人情報ですので。欠落病はデリケートな病です。土足で踏み荒らされるのは好きじゃない。
柾木 先生、
桔梗 柾木くん、ごめんなさいね。どうしてもというならきちんと手続きを踏んでから来てください。では。
夏目 このヤブ医者…(と桔梗の胸ぐらを掴む)
柾木 夏目さん!
桔梗 殴りますか?お好きにどうぞ。でも何も出てきませんよ、私には、患者さんを守る義務があるんです。こう見えても、医者ですから。
柾木 夏目さん、ここは一旦引きましょう
夏目 くそっ
夏目が桔梗を離して出ていく。柾木が追いかけようとする。
桔梗 柾木くん。…ご心配なさらないでください。大丈夫ですよ。
柾木 …失礼します。
柾木が出ていく。桔梗が白衣の襟を直す。
桔梗 水尾くんに、気をつけてもらわないとなあ…。
桔梗が出ていく。
療養所の中央、ガラスの温室。香澄が椅子に座って辺りを見渡している。
香澄 きれい…
香澄が立って、温室に植えられている花を眺める。そこへ、水尾がやってくる。
手にはティーセット。
水尾 もうだいぶ、紫陽花の季節は終わってしまって。その辺は葉っぱばかりでしょう。
香澄 葉っぱも綺麗です。私、初めて温室入りました。
水尾 おや、そうでしたか。いつでも来てください。これからはヒマワリが綺麗に咲いてくるんですよ。どうぞ(と香澄にカップを渡す)
香澄 わあ、いい匂い。
水尾 今年のはよくできたと思うんです。
香澄 ハーブティ、毎年作ってるんですか?
水尾 はい。手入れしないとボーボーになっちゃうし。そのまま捨てちゃうのはもったいないので
香澄 へえ。(飲んで)美味しい!
水尾 よかった。
香澄 水尾さんて、ずっとここにいるんですよね?
水尾 そうですよ。あっちが僕の部屋。あ、今は散らかってるから入っちゃダメです。
香澄 (笑って)温室に住んでるなんて、なんか素敵。
水尾 ふふ、いいでしょう。僕も気に入っています。最初は治療のためだったけど、今はここじゃないと落ち着かないくらいで
香澄 そっか、当たり前だけど水尾さんも患者なんですよね。
水尾 それを言うなら、香澄さんだって。
香澄 そうなんですけど、水尾さん何かをなくしてるように見えないから
水尾 (にっこりして)よく言われます。
香澄 あ、失礼ですよね。ごめんなさい。
水尾 いえ、香澄さんは素直で可愛らしい方ですね。お招きしてよかった。
香澄 (照れて)ここができる前から桔梗先生と一緒だったって本当ですか?
水尾 ええ。桔梗くんにはとてもよくして貰っています。僕、割と重症の類に入るみたいで、環境が変わると発作が起きちゃうから気にしてくれてるみたいです。
香澄 発作…?
水尾 自分じゃあんまり覚えてないんですけどね。
香澄 …水尾さんって…
水尾 はい?
香澄 いえ、やっぱりなんでもないです。
水尾 「何が欠落してるんですか?」かな?
香澄 や、あの……はい。
水尾 気になります?
香澄 …すみません。
水尾 そんな、謝らなくてもいいですよ。気になるのは悪いことじゃないし、でもごめんなさい。僕にはわからないんです。
香澄 え?
水尾 欠落してることを欠落してるって言うのかな?桔梗くんに教えて貰ってもすぐわからなくなっちゃうんですよね。
香澄 そんなこと、あるんですね…。
水尾 ね。だから、重症なんだそうです。
香澄 …それは大変ですね。
水尾 うーん、忘れちゃってるからわからないですけどね。香澄さんは?
香澄 なくしたものですか?
水尾 ああ、つい。ごめんね、嫌だったら答えなくていいですよ。
香澄 (ちょっと考えて)「承認欲求」ですかね。たぶん。
水尾 へえ?
香澄 桔梗先生には「愛」だって言われた気がしますけど、まあそれもそうかな。家族愛とか自己愛とか、そう言うの。
水尾 ああ、なるほど。
香澄 引きこもってたんですよ、私。
水尾 本当に?
香澄 (頷いて)ガチの。ガッツリで。そういうのも結局、誰かに愛されたいとか認められたい!とかの延長線上っていうか…そういう感じなのかなと思うんですけど。「愛」無くしたってなんかアレなんで、「承認欲求」で。
水尾 ご家族は?
香澄 います。でもあんま実感なくて。すごい、近い?感じなんで、ここにいる方が楽なんですよね。
桔梗 それはよかった。
香澄 桔梗先生?!いつの間に
桔梗 ハーブティーくらいから。
香澄 (笑って)結構前からいましたね。
桔梗 気がつかなかったでしょ?水尾くん、私のはないのかな?
水尾 あとでね。
香澄 あの…先生、私、水尾さんの症状聞いちゃって
桔梗 ああ、いいのいいの。患者さん同士が話するのはいいカウンセリングになるからね。
香澄 そうなんですか、
桔梗 水尾くんも、もっといろんな人とお話しした方がいいよ。
水尾 だって、温室に来てくれるの桔梗くんと橘くんくらいじゃないですか。
桔梗 出たらいいじゃないの
水尾 僕はここが好きなんです。
桔梗 ほら、こうですよ。
香澄 (笑って)仲がいいんですね!
桔梗 腐れ縁だよ。水尾くんは、私が最初に見た患者さんだからね。全然治んないけど。
香澄 いいじゃないですか、治んなくても。
桔梗 ええ?
香澄 私、病気かかってからめっちゃ生きるの楽で。ここの生活も楽しいし、よかったなーって。
桔梗 医者としては複雑だねえ。
香澄 ごめんなさい。
桔梗 現代には必要な病気だったのかもしれない、とは思いますけどねえ
水尾 花粉症的な
桔梗 違う違う。ヒトは複雑な生き物ですからね。救いは多い方がいい。でしょ?
香澄 救い、かあ。
水尾 なんだかよくわからない話ですねえ。
香澄 じゃああの人にとっても、そうなのかな
水尾 あの人?
香澄 新しく入って来た人です。ここにくる前に会って。
桔梗 (水尾に)阿瀬比さんっていうんですよ。
水尾 阿瀬比…
水尾の動きが止まる。遠くを見つめているようだ。
桔梗 まあ、救いなのか報いなのかは、本人次第ですけどねえ
水尾 (唐突に)アセビの花が咲いたんだよ。
香澄 え?
水尾 こんな夏に珍しいだろ?
香澄 水尾さん?
水尾 植物にも健忘症ってあるのかな。それとも今年は夏が寒いから
香澄 え、普通に暑い、ですよね。水尾さん?
水尾 見にいこう。でも痺れないように気をつけて(と香澄の腕をとる)
香澄 え?え??
水尾 一葉。
桔梗が手を叩く。すると水尾の動きが止まる。
桔梗 水尾くん。
水尾 あれ、どうしたの?
香澄 水尾さん、大丈夫ですか…?
水尾 あ、ごめんね。なんで腕掴んでるんだろう。発作?
桔梗 うん。
水尾 痛くなかった?
香澄 私は平気です、けど…
桔梗 今日のは軽かったから、問題ないですよ。でも、一応診察しときましょうか。香澄さん、いいかな?
香澄 え、ええ。
水尾 せっかくお茶入れたのに
桔梗 明日にしてください。ほら、行くよ。
水尾 じゃあ香澄さん、また明日。今度はお茶菓子も用意しておきますね。
香澄 はい…
桔梗が水尾を連れて去る。香澄が1人残される。植物園の中を見渡す。
香澄 一葉って、誰…?
咲き誇る花たちからの返答はない。暗転。
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