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北欧ウォーク 8 ストックホルムのレバノン料理店で

住宅街にたたずむ孤独のレストラン。向かって右は夏だけの野外部門。 

 10年ほど前から、ストックホルムの街を歩いていて、レバノン料理店の看板が目つくようになりました。いやもっと前からあったのかもしれません。いまでは50を超す店があり、わたしも数年前から、ストックホルムに行くたびに1回はレバノン料理を口にするようになりました。
 古い話ですが、1972年にロンドンからエジプトのカイロに飛んだことがあります。レバノン拠点のミドルイースト航空の便で、経由地のベイルートに3泊しました。当時のベイルートはフランスの影響下にあり、ビーチ沿いにレストランやホテルが連なり、マリー・ラフォレやジャンヌ・モローに出会ってもふしぎがないような街でした。おしゃれだけど物価が安い。郊外にはフェニキアやローマ時代の遺跡が残り、知的な欲求も満足させてくれました。しかし、街はずれを通ったとき、赤土の空き地に、茶色のテントがずらりと並び、外で子どもたちが遊ぶ姿が目に入りました。パレスチナからの難民たちでした。観光地と難民キャンプの対比があまりにも強烈で、ずっと心に残っています。
 あとでそうなってしまったのですが、この年が観光立国レバノンの最後でした。翌年、アラブ諸国が第四次中東戦争を起こし、1か月足らずでイスラエルの勝利で終わりました。これをきっかけにして起きた中東の石油の減産、第一次オイルショックは日本などの非産油国に大きな影響を与えました。それから2年後の1975年からレバノン内戦が始まります。イスラム教のパレスチナ人とキリスト教のレバノン人の戦いで、15年も続きました。終戦後もレバノンは、南部が抵抗組織ヒズボラに支配され、シリアやイスラエルとの戦争も頻繁に起こり、観光業が復興することなく経済的に落ち込んでいきました。2019年にはついに経済的に破綻国家になり、さらに2020年には港にあった没収薬品が爆発して、30万戸が破壊されるという事故が起こり、政治的な混乱が続いています。いまや国民の7割が貧困にあえいでいます。


わたしが好む16品たち 

 レバノンと聞いても、どこにあるかわからない方がほとんどでしょう。地中海の東の突き当り、北隣がシリア、南隣がイスラエルと書けば、戦乱の地とわかりますね。かつてはこのあたり一帯が、3500年前から文明を育んできた、フェニキア人たちの土地だったのです。古代から現代までずっと、戦乱が続いてきましたが、歴史の中では、重要な仕事をしてきました。レバノン杉で造った船を駆使して、地中海の経済や文明の交流の橋渡しをし、いまのアルファベットのもとを作りました。ガラスがこのあたりで発見されたという説もあり、ローマ時代のガラスの生産地のひとつでした。
 古代のフェニキアが、マケドニアのアレクサンドロス大王に滅ぼされたあと、やがて東ローマ帝国に含まれたので、レバノンの人口の約4割は東方典礼カトリック教会正教会に属しています。このため、を食べない40日間のの期間のために、野菜料理が発達しました。レモンオリーブオイルハーブ類、ゴマヨーグルトを使った料理が多く、素材を細かく刻む、粉にして別の形にするなどの料理もよく出てきます。シナモンオールスパイスがよく使われますが、香辛料の使用量はそれほど多くありません。辛い料理はほとんどないので、初めての人でも食べやすいと思います。
 いまの欧米で、レバノンの名前を知らしめているのは料理です。レバノン料理は21世紀の流行の最先端、ハイセンスな人たちの暮らしの味付けに、なくてはならないものになっています。おしゃれというか、手がこんでいるからか、知的な感じがするのがふしぎです。古代からの叡智が詰まった料理ということなのでしょうか。

よくぞ出版してくれましたと感謝したくなる貴重な本

 最近、レバノン料理に関する思いがけない本が出ました。『ベイルート961時間(とそれに伴う321皿の料理)』(講談社刊1600円+税)で、フランス在住の詩人・関口涼子がフランス語で書き、日本語に翻訳したものです。すごいことができる人がいるんだと感心したら、2022年フランス文学者協会ノンフィクション賞を受賞していました。
 レバノン国民の多くは、内戦や周辺国との戦乱を避けて国を出、かつての宗主国フランスや南北アメリカなどで暮らしています。異国で自分たちの料理を作って屋台で売る、レストランを開くなどして、独特の料理を広く知らしめてきました。幸い、ダイエット志向やベジタリアン愛好の流れにうまく乗ることができました。3,500年にもわたって受け継がれてきた料理、紛争の地で多くの人たちを育くみ、いつかまた戻りたいと思わせてきた味、故国が滅びそうになっていても世界中の人々の舌を虜にしたレバノン料理のしたたかさ。そしていまも生まれた土地に残って生きるレバノン人たちの料理愛を、著者はやや悲しみを込めて語っています。
 北欧では、レバノン料理が地位を確立しているのはストックホルムだけ。最初に入った店はレバノン人がオーナーで、働いているのもレバノン人でした。わたしの中でのレバノンは、いまでも赤茶色の土の上に並ぶ茶色のテントです。いや、いまはもっとひどいことになっているはずです。戦争を日常的に見て育ち、大人になってから安心して家族を守っていこうとするなら、国を抜け出すしかありません。スウェーデンなら受け入れてくれると思い、南の地中海から3,000kmも移動してきたのです。そんな彼ら、彼女らをささやかに支援しようと、レバノン料理店に入っています。同行の人がいるときは、必ずお誘いして。それに値する料理だと思います。


いつも食べ散らかしています

 関口嬢には遠く及びませんが、わたしがよく口にするレバノン料理店の16皿を紹介します。

HOMMUS  ひよこ豆のピューレ
TABBOULI パセリ、トマト、クスクス、タマネギ、レモン、オリーブ オイルのサラダ
LABNEH 味付け水切りヨーグルト
MOUTABBAL BADENJAN 焼いた茄子の皮をむいて、細かく刻んでニンニク、オイル、塩をまぜたピューレ
TARATOR DE JEJ チキンのごまソース炒めとキュウリのピクルス
MHAMMARA 細かく砕いたパプリカ、くるみ、パン粉をオリーブ オイルでマリネしたもの
WARAK INAB ぶどうの葉のドルマ(米を葉にくるんで煮たもの) ギリシャにもある
BASTERMA 乾しビーフのマリネ
BATATA HARRA コリアンダーチリ、レモン、ガーリックを添えたフライドポテト
HALLOUMI 羊と山羊のチーズ焼き キプロスやトルコ、ギリシャにもあり
FATAYER ほうれん草のピローグ(大型のピロシキ)
RAKHAT 揚げモッツァレラチーズと羊のチーズ ロール
FALAFEL ひよこ豆の衣の揚げごまソース添え
JOWANEH MOUKLIEH 手羽先のマリネ揚げ
KRAYDES 大海老のフライ。ガーリック、コリアンダーと白ワイン添え
KEBBE TRABLOSIE 牛肉入りブルグル(ひきわり小麦)

 以上の中の上から2つ目のTABBOULIについて、関口嬢は「タブレはレバノン国旗の色、タマネギの白、パセリの緑、トマトの赤。国民食」と書いています。料理でもレバノンの個性を主張しているのですね。日本にも日の丸弁当という国旗の料理がありますが…。

 23年夏にコロナ禍が終わったあと、数年ぶりに16皿に再会しました。店はよく生き抜いたと思います。お客がわたしたちだけという時もありましたから。スタッフはすっかり替わっていました。店を出るとき、給仕に聞かれました。

「あなたはスウェーデンがお好きですか?」

「ええ、好きというより憧れです。よく来ますよ」

「わたしは大嫌いです」

 衝撃的な言葉でした。自分の国では暮らせずに、心ならずも出ねばならなかった人を、スウェーデンは受け入れた。そこには紆余曲折があったことでしょうが、とにかく現在は安全に暮らすことができている。その国を嫌わなくてもいいのではないか。「今の時代にこんなに寛容な人たちはいませんよ」と言おうとして、やめました。この給仕は、内戦中に生まれた年代です。長い戦乱の地で育った人たちの心は、異邦人にはわからないことです。でも、わたしに言う必要はないでしょう。言って何の意味があるのか。

 秋には、また戦争が始まってしまいました。決して終わりのない戦争が。

      


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