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生みの苦しみ

何かを生み出すというのは、二つの意味で「生みの苦しみ」を味わうことになる。

一つ目は、難産というか、なかなか生み出すのが大変ということ。能力、技術、経験、スケジュール。あらゆる制約条件が重石となり、思い描く「完成」に至らない。

二つ目は、「こんなのを世の中に公開しても良いのか」という葛藤だ。作り手は100%自信のあるものを出したい。でも「何かが足りないのではないか」という悩みは尽きない。完成物に自分の名前を署名する。ツイートを消すようなカジュアルさはない。後戻りはできない。

それでも、クリエイターはどこかのタイミングで「これで良い!」と決めなければならない。どれくらいの工数がこれまでかかってきたのかは関係ない。たったひとつのnoteだって、立派な成果物だ。それに対して「公開ボタン」を押すかどうか、本人の決断に委ねられている。

……どれくらいの工数がこれまでかかってきたのかは関係ない、と書いたけれど、関係者が多ければ多いほど、注目される度合い / 意味合いは変わるかもしれない。恥をかかせてはいけない、そんな感じで。

ゾクゾクするような期待と恐怖が混ぜになった感覚を、まさに味わっているところだ。生み出した後の美酒の味など想像もできないし、想像する余裕もない。

生みの苦しみ、その直前は、逃げ出すことさえ容易ではないのだ。

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