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だいたい、「さん」付け

新卒入社した会社で、上司の上司が「さん」付けを徹底していた。

そのときの社風は、めちゃくちゃカジュアル。「〜くん」「〜ちゃん」「ホーリー(のようなあだ名)」など、何でもOKだった。

親しい間柄でない限り、さすがに呼び捨てはなかった。いま思えばハラスメントに近いようなことはあったけれど、それが「社風」といって許されていた。でもハラスメントに近いことを「された」ときは、やっぱり良い感情は抱かなかった。社内のメンバーに「舐められない」よう口髭を生やすみたいな努力はしていたように思う。

だからこそ、「さん」付けを徹底していた上司の上司は、かっこよく映った。周りがカジュアルな呼び方をしていたとしても、「さん」付けを貫いていた。個人的に親しい間柄で、プライベートで旅行に行くメンバーに対しても「さん」付けだったらしい。

それに倣い、僕もいつしか「さん」付けを徹底するようになった。時代も徐々にそういった丁寧さが求められるようになって、「さん」付けすることは都合が良い。

それに、どんな他人からでも学ぶことはある。優秀かどうか、年長者かどうかなんて関係ない。カジュアルな態度が、時間を経るにつれて「ぞんざい」なものに変わることはしばしばある。だったら、最初からフォーマルに近い方が良いわけで。

ということで、いまでは、「さん」付け以外は考えられなくなった。

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とまあ、ここまで書いてきたけれど、「さん」付けを徹底してきたことで悩みもある。

先日、大学の後輩から「ちょっと堀さん!「さん」付けとかやめてくださいよ!」と指摘されたのだ。大学時代、たしかに僕は彼を呼び捨てで、呼んでいた。スポーツという土壌だったこともあり、お互い、それが普通だったのだ。

指摘を受けて、「ごめん、ごめん」と謝った。

メッセージのやり取りで、また呼び捨てを頑張ってみたのだけれど、どうもぎこちない。呼び捨てすることに違和感がありすぎて、カジュアルとフォーマルが混じったような文体になってしまった。

上司の上司は、「さん」付けをしていても、プライベートで旅行するような関係を築くことができている。でも僕は、なかなかそういう関係を築くことはできない。社会人になってからも友達を作ることはできたけれど、どこか他人行儀というか、見えない線を引いてしまっているような感覚はある。

「さん」付けを変えるつもりはない。

でも、大学のときの方が、コミュニケーションは自由だった気がする。

何も考えていなかっただけだけど、何も考えていなかったからこそ生まれた偶然のようなものがあった。ふらっと車で海に行くこともあれば、そこら辺をぐるぐるとドライブしたこともある。ぞんざいな態度だったからこそ、何でも言えてしまったような気がする。(無自覚だけど、傷つけてしまったこともあっただろう)

そうだなあ、1年に1回くらい、「ぞんざい」な日を作ってみようかな。

「今日は『ぞんざい』な日です。すんごいカジュアルなコミュニケーションになっちゃうけど許してね」なんつって。

いやあ、これは嫌われるだろうなあ。

だったら、いまの「さん」付けのトーンで、良い感じのコミュニケーションを模索した方が良い。

羨ましいと思っちゃうけれど、周囲のカジュアルな人たちのことを。

#さん付け

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