「手伝いましょうか?」の無能さ
「手伝いましょうか?」この言葉が嫌いです。
そこに微妙に含まれる”私はあなたのために時間を割いてあげますよ”感を汲み取ってしまうから。
「そんなことはない」と言われようが、
「それはお前の捻くれた性格のせいだ」と言われようが、
嫌いなものは嫌いなのでしょうがない。
とは言え、なぜ嫌いなのかを明示することは、意思表示するうえでの、さらに言えば特に”マイナスの”意思表示をするうえで、意味を持ち得そうだと思い、明文化してみることにしようと。少なくともぼくにとってこの問題は、個人的な性格の悪さではなく、日々コミュニティの現場にいる人間として、人と人とをつなげ、円滑なコミュニティを形成するための一助になると思うから。
そもそも「手伝いましょうか?」という発言の前提として、手伝っていない状態があります。この時点で相当に”うざい”。いいから手を、頭を、動かしてから発言しろと思ってしまうわけです。
なにより、手も頭も動かすことなく、口だけ動かしている時点でそいつの行動力の薄さを露呈してしまっています。
また同時に、なにも考えることなく「手伝いましょうか?」と声をかけるということは、そもそも”何を”手伝うか、について自分の頭で考えることなく発言してしまっている。
※少なくとも”手伝いたい”という気持ちはきっと100%善意から来ており、もちろん否定するものではありません。
その思考停止、あるいは、思考の至らなさを感じ取ってしまうことがもっとも大きな原因。
手伝ってくれるのはもちろんありがたいし、なにより、その気持ちはとても嬉しく受け取ります。それはもちろんどんな場面においても変わりません。
が、なにを手伝ったらいいのかも考えず、行動を伴うことなく、ただ声をかけてくる”程度のスキル”しか持ち得ていない人に手取り足取り手法について説いたうえで”手助けを乞うこと”ほど自分のリソースを無駄遣いすることはないとも同時に思ってしまうわけです。
ここに、ぼくはぼくなりの、コミュニティマネージャーとしての姿勢、哲学があります。
「まずは自分が動いてみる」ということ。
失敗とは、挑戦しないこと。
いいから、その頭でっかちを引っ込めて、手を動かせよ。
自戒として。
ご購入/サポートありがとうございます!すっごく嬉しいです。サポートしていただいた分から、僕も他の人のよかった記事や託したい想いにどんどんとサポートをお返しさせていただいてます!Pay it forwardの循環を増やしてやさしいお金の流れをつくっていきたいなぁと思っています。