祖母と野焼きと隣家の犬。

今回も記憶に纏わることを少々。

父方の祖母の事を思い出した。
同時に母方の祖父母や色んな事を思い出した。

パワフルなばーちゃんだったんだと思う。
「思う」となるのがちょっと後ろめたくもある。

ご飯をいつも勧めてきて、
「もういいと?まだまだあるから」が口癖のように良く言っていて、躊躇すると「ほら、食べんね」と言ってくれていた。
空腹と好物の時はかなり有難いのだか、ほぼ満腹の時(堀之内家はよく食べる)はちょっとした修行であった。
今思うと、富士山の登山よりしんどいんじゃないかと思う時もあったかもしれない。
高校時代にラグビー部の友人と焼き肉食べ放題で勝負した事があるのだが、それに似ている時もあった。

でも、じーちゃんが「良太、ほらまだ食べんか」と言うと
「無理せんでいいっちゃが」とフォローしてくれてたりもした。
子ども心に「どっちやねん」と関西人じゃないのに、関西人のような突っ込みが出たりしていたが(もちろん心の中で)、今となっては分かる気がする。
母や叔母達は祖母の家から帰るとき、いつも何かしらの料理やお歳暮で貰った物を持ち帰っていて、誰がどれを持って帰るのかの会議は子どもながら面白く眺めていた。
譲り合いとほんとはあれ欲しいの攻防である。
不貞腐れたい魚料理不機嫌視野狭野郎(前回の記事で自分の幼少期のこと←自分で書いていて恥ずかしい)はジュースやカルピスを母親が奪還するのをいつも期待し、その結果によってまた不機嫌になっていた。

じーちゃんが唯我独尊のパワフル過ぎたので(時が来たら書いてみたい)、ばーちゃんの本領は幼少期は影を潜めていたように感じたが、そのじーちゃんの相方さんだった訳で、陰で操っていたに違いない。
母が以前はこっそり父を操っていたように(今は堂々と操っている)。

と言っても正直、祖母と二人で話した記憶は多くは無く、思い出せるのはごく最近のやり取りである。
施設で会った時には叔父の浮気を本気で心配していた(全くの濡れ衣である)。

その祖母の事を思い出すと、思い出とともに浮かんでくるのは煮豆とかの食事と野焼きの光景、そして祖母の家の近所に住んでいた犬のことである。
野焼きとは害虫駆除や肥料にする為に、植える前に畑を焼くこと(完全に付け焼刃の知識であります)。

野焼き

こんな感じ。

煮豆とかの食事は分かるが、野焼きの光景と近所の犬はこれと言って直接的に祖母に関係することでは無い。

祖父母の家の近所のことではあるのだが、祖父のことや母方の祖父母の事を思っても、野焼きも犬の事も浮かんで来ないから不思議である。
何故かは自分にも分からない。
記憶の謎。
思い出してしまうものはしょうがない。

祖父母の家は実家から車で1時間ちょいの所にある。
母方の祖父母も、父方の祖父母も比較的近くに住んでいて、お正月やお盆には家族で車に乗って、1時間の小旅行気分で向かっていた記憶がある。

不貞腐れたい視野狭野郎だった私はその車の中でも結構な騒動を起こした。
家族四人が窓を閉めたがってるのに開けたりしていた記憶がある(他にもジュースをねだったり、座る位置で駄々をこねたり・・・)。
窓開閉問題の理由は野焼きである。
何故か野焼きの匂いを感じたい時があったようである。
家族は絶対反対するであろう。
それはそうだ。野焼きをしている近くを通ると匂いと煙が凄い。
しかも、田舎である。
牛や動物の匂いなんか優しい方である。当然虫もいる。
しかも、帰る時期はお正月かお盆である。
暑いか寒いのである。
何故、窓を開けたがるのか。
不貞腐れボーイに問いただしたい。

その光景と匂いが祖母に直結するのだから不思議である。

そして、近所の犬。
自分は犬が好きだ。
全く知らない人よりも、全く知らない犬の方が好きだったりする。
動物全般が好きで、高校時代は一瞬獣医さんになろうと夢物語を描いたこともある。
結局、獣医は動物に嫌われると聞いたことがあり、こんなに好きなのにそれは嫌だなと逃げ出した(実際は大学が6年であることと、自分の学力では到底叶わぬ夢であると気づいてしまったので猛ダッシュで逃げたのである)。

昔、実家でミールと名付けられた犬を飼っていた。
まぁ、誰に似たのかわんぱくの中のわんぱくで、構ってちゃん。
わんぱく過ぎて家族とともに壮絶な生活を送っていた。
何でも食べていたので、よくお腹を壊し、犬生(人生の犬版)の中の半分ぐらいはエリザベスカラー(お腹を舐めないように、円錐の形をした筒のようなもの)を首に装着し、エリマキトカゲ風なファッションをしていた。

ミール画像

エリザベスカラーをしているミールは不機嫌だった。
不機嫌勝負だったら自分といい勝負である。
3人がよるしばいという演劇ユニットでミール役を創って、自分が演じているのだが、ミールを演じる自分が可哀そうなのか、自分に演じられるミールが可哀そうなのかいい勝負である。
ミールのことに関して書くと、親馬鹿を発揮して相当な分量になってしまうので、また機会があれば。

脱線から戻すと祖母の家の近くに住んでいた犬のことである。
結構獰猛な奴で、その家の前を通ると噛みつかんばかりに吠えてこっちに向かって走ってきた。
しかし、可動式の鎖に繋がれていたので(結構長い)道路の反対側の所でぎりぎり止まる。

ミール画像

お察しの通り、自分は絵心をどこかに忘れている。
パソコンのアプリで初めて描いたからと、言い訳も可能だが、その言い訳も虚しいぐらいに絵心を忘れている。
前世なのか、落とし物としてどこかにあるのか。
むしろ、この絵を挿入することで逆に混乱を招いているのでは無いかとの懸念もぬぐえない。

絵が上手い友人に秘訣を聞いてみたことがあるのだが、その友人は
「うーん、絵とその対象を好きになること。あとは自信持つこと。俺も自分が上手いと思った事ないし、好きなだけだから」
達観している。絵が上手いわけだ。
犬のことはこんなに好きなんだから、あとは絵を好きになることと自信を持つことなので恥ずかしがらず、載せようと思った次第であります。

ある日、いつものようにその犬を飼っている近所の家の前を通った時のこと。
その犬は自分に向かって敵意を持って猛然と駆け出してきた。
ビビりだけど負けたくないボーイはどうせ鎖で止まるだろうと思い、ビビりながらもビビってませんアピールをして普通を装って通り過ぎようとした。
その時である。
犬の度重なる勇敢な飼いならしの脱却への願望により、弱っていた鎖が切れたのである。
ビビってませんアピールをしていた少年は、そのアピールをしていた事を忘れてビビりまくる。
なんせ世間知らずとは言え、犬の足は速いことは知っている。

獰猛な犬→鎖切れる→犬、自由への開放→憎らしい不貞腐れ野郎→
人生の厳しさを教えてやろう→自分の脚力→すぐ追いつかれる→
食われる

この方程式が脳裏に浮かぶ。

その時。

タイトルなし

鎖が切れたことに犬自身が驚いて、いつもの可動範囲の少し過ぎた所で止まったのである。
その表情が上記の絵で、自分の絵心のせいでその時の臨場感が表せないのが悔しい。落とし物であったら返して欲しい。

その後、犬は道路を渡ることもビビった少年を食べることなく、トボトボと自分の犬小屋に帰って行ったのである。

これには犬にビビっていた少年はもっとビビった。
何故か、その気持ち分かるよと仲間意識を覚えたぐらいである。

祖母の記憶から何故この話になったのかは分からない。
この直後に会ったのが祖母だったのかもしれない。
その時祖母が何か言ったのかもしれない。

でも、自分の人格形成に大きな影響を与えたのは間違いない記憶である。

このご時世になってしまい、祖母とは会えていない。

野焼きの話とこの犬の話を作品にしたいなと思っている。


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