焦燥感
焦燥感に駆られる時がある。
ポツンと出来た休日ややるべき事が色んなジャンルで押し寄せている時に。
何もしてないんじゃないかと思ってソワソワしてしまう。
もっと出来るんじゃないかとソワソワしてしまう。
最近もたまにある。いや、結構ある。
自己承認欲求と自分はここまで出来るはずだの過信からくるもんなんじゃないかなと思う。そんな時は必要以上にイライラして、近しい人に当たり、後に自己嫌悪に陥ったりもする。
最近はマシになった方だが学生時代はそんな自分と、平気なふりをする自分が気持ち悪い感じで混在していたように思う。場面ごとに使い分けていたと言うべきか。
中学一年生の時。
縦社会の強い野球部(自分で勝手に思っていただけだが)に所属していて、月に2回ほど少し離れた市営球場で練習する日があった。
通っていた学校からは自転車で20分ほどだったと思う。
多分その時の自分は焦っていた。
小学校ではソフトボールのチームにいてレギュラーで、中学に入っても当たり前にレギュラーになれると過信していた。
しかしそれは多大なる過信で、中学の野球部の先輩達は偉大で敵うわけが無く、一年生だけが出れる一年生大会にも他の小学校の面々が上手く出場も危ういと危惧していた。
何故そう思ったのか忘れたが、市営球場で練習がある日どうしても一番に行かなければと思った。早く行って練習する訳でもないのに、とにかく何かしなければと一番に行こうと思ったのである。
同じような思いの友人と3人で学校終わりに急いで向かおうとした。
そこでも一人で行かないのが自分である。
すると、レギュラー確実の同じ一年の野球部の部員が
「何でそんなに急いじょっと?」
と笑いながら言ってきた。
バカにされた気がして恥ずかしくなり、何か言い返した気もするが覚えていない。きっと何も言い返せず、「別に」とか言って、その場を離れたと思う。
そして、急いで向かった。
その道中、砂利道で自転車のタイヤがパンクした。
一緒に向かっていた二人も切ない顔をしていた。
取り残されるのが嫌で行ける所までパンクした自転車を必死に漕いだ。
結果、市営球場に到着したのは監督よりも後で、レギュラー確実の同じ一年は心配そうな顔で見ていた。
その後の練習の事は覚えてないが、散々な記憶として残っている。
でも、ふと思い出したのは自分の礎になっているからだと思う。
こんな事を思い出したのも学校を舞台の「ヨーイ、ドン」の稽古中だからだと思う。
学生時代の事をよく最近考える。今の自分は過去に起因している。
そんな自分に聞いて欲しいセリフが今回あったりする。
どう思うのだろうか。
焦燥感に駆られている自分は聞かないかもしれないけど。
ちなみにレギュラー確実の同じ一年だった野球部員は、後に自分がカツアゲにあいそうになった時、「助けに来たぞ!」と駆けつけてくれたような奴である。当時の焦燥感が邪魔していた。
その事や「ヨーイ、ドン」の事、劇団水中ランナーの次回公演「つぎはぎ」や提出した脚本でひと悶着あった事も書きたいと思うのですが、書かなきゃって焦燥感に駆られそうなのでこの辺りで。
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