みーちゃんに見た陰中の陽
おかえりモネ 第17週「若き者たち」
皆さんはご覧になっただろうか。
これを書いているのは9月3日の夜である。
つまり、今朝、まさに、あのシーンがあったわけだ。
ずっと見守ってきた一視聴者の私は今日一日あたたかい海の中を漂うような気持ちだった。
思えば、この2週間分の放送はいろんな人の抑え込んできた感情の種が一斉に芽吹いてしまったような内容だった。
様々な種類の傷を目の当たりにし、悲しんだり憤ったり。
傷ついた人を前に、自分は何ができるのか、何をすべきか、答えの出せない問いをあらゆる形で示してくれたこの2週間だった。
そんな中で今回取り上げたいのが、モネの妹、みーちゃんについてである。
陰陽のバランスを失ったみーちゃん
この2週間のみーちゃんは、大荒れだった。
大好きなはずの仕事が上手くいかない焦り、りょーちんへの気持ち、順風満帆に見える姉への羨望混じりの嫉妬心。
少しずつ積み重なった感情の上手な逃がし方もわからないまま頑張り続けた結果、大決壊を起こしてしまった。
そんな彼女に対して、ネット上では様々な意見が見られた。
彼女の言動を非難するものも多かった。
確かに、みーちゃんの言動の数々は一般的に褒められたものではないだろう。
かく言う私も、放送当時はテレビの前で憤った。
しかし考えれば考えるほど、そう簡単にみーちゃんを責められないと思うようになった。
そして9月2日の放送で、みーちゃんの中に見えた一筋の光がとても印象的だったのだ。
おかえりモネの要素のひとつに「陰陽のバランス」がある。
陰と陽はそれぞれ強まったり弱まったりしながらバランスを保っている。
まさに主題歌「なないろ」の歌詞にあるヤジロベエのように、そのバランスは一定ではないのだ。
この2週間のみーちゃんは、言うなれば陰の方に傾き続けた。
それを自分では止められず、モネやすーちゃんも振り切って陰に進み続けた。
りょーちんに褒めてもらったスカートをモネに投げつけ、何も知らない菅波先生にあえて意味深なことを言い、モネが戻ってくる前に汐見湯を去ろうとした。
選択肢がもし目に見えたなら、みーちゃんはことごとく✖印のついた道を選んでいた。
陰陽の転化
陰陽というものの性質のひとつに「転化」がある。
片方が増えて増えて極点まで達すると、それ以上増えず逆の性質に変わることがあるのだ。
陽が極まれば陰となり、陰が極まれば陽となる。
上の図は、陰陽太極図というものだ。
白が陽、黒が陰を表している。
図を見るとわかるように、陰と陽はきっぱり分けられるものではない。
場所によって比率は違うし、陽の中にも少しの陰が、陰の中にも少しの陽が存在する。
陰が極大になったときには陽の小さな芽が出ると考えられているのだ。
あの日、鋭い言葉で人を傷つけ、同時に自分自身も傷つけ、血だらけになったみーちゃん。
コインランドリーの裏で、りょーちんのモネに対する想いを聞いたときの彼女の顔は、これまでの複雑そうな仄暗い顔とは少し違って見えた。
立ち聞き、盗み聞きは良くないことだ。
でもあの会話を聞いたからこそ、みーちゃんの中で「転化」が起こったのではないかと思う。
モネに「私が(りょーちんの)そばにいる」と決意を表したときのみーちゃんには、たしかに小さな陽が生まれていた。
そもそも陰と陽は、どちらかが良くてどちらかが悪いというものではない。
きっとあの陰の時間も、これからを歩くみーちゃんの一部分になっていくのだろう。
そんなみーちゃんに良い未来が待っていることを、私は願わずにはいられない。