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矢印の冒険

先日職場からふらっと表に出てみると角のビルの袂の地面に何やらチョークと思しきもので書き殴っている70は超えている容姿のご老人が居た。

何気なく眺めていると行ってしまった。

「何を描いていたのかな?」
帰宅時にふと思い出して確認してみるとどうやら矢印のようである。
「ふーん」

その時はそんな感じで帰宅の途につく。奇しくも矢印の指している方向。
歩き出すと「あ!またあった」

そのまま進むと「あれ」

ご丁寧に曲がるところをわかりやすく描いてある

ただ残念なことにこの先が見つからなかった。
この矢印の先にコンビニがある。
「そこが目的地なんだろう」
釈然としないまま家に帰った。

家に帰ってもあのご老人のことを考えていた。
なぜこんなことをしているのか?
なんのために?
矢印を追う人がいる事を想定していたのか?
本当にコンビニが目的地だったのか?
色々考えを巡らせながら床に着いた

翌朝、最後の矢印からコンビニまでの間が気になって調べ直してみた。

「あ」


公園の入り口に発見した!
昨夜は暗くてわからなかった新しいルート。
「THRU」と描いてある
英語もわかる人なようだ。
普通ならthrough
それをThruと書くのはなかなか英語を知っている。

公園を通り抜ける意味だ
後にも先にも彼が描いた文字はこれだけだった。

ブランコの横を通って

裏の出口に向かう。
そして公園の出口では

右か

まっすぐ

平和通りを左折

お、矢印の種類が違う。
そういえば一番最初の矢印もこの形だったな。


まただ。

ん?なるほどそうか。
道路を渡れという事か
イコールの部分が道を現してるのか。

どうやらその解釈で間違いなさそうだ。道の左側と右側のどちらを進むかという情報すらこの簡単な矢印に含まれている。

ここはある宗教団体の施設横。
「まさかな」
こんな不思議な出来事と宗教とが妙に関連付きやすい私のステレヲタイプを笑った。
もちろん関係なかった。
こんな最高の冒険がそんなくだらない終わり方では納得できないし。

長いストレート
私を誘う矢印はどこまでもいけという。

道路を渡って右という事ね

渡り切った側の道路に書いてある矢印
なるほど
歩道側に書く場合な道路表現は必要ないんだな。これは道路側に書いてあるから渡ってきた道路を表現している
ここは複数の分岐があるからわかりやすくしているのか。
ご老人の心理を想像すると
この配慮は誰かの追跡を想定しているような気がする。

横断歩道を渡って左か。

ここまで来ると少し不安になってきた。
「次の矢印がなかったらどうしよう」

あった

道路を渡って右

知らず知らずに

夢中になっていた

そしてこの冒険は突然終了した。

この消えかかった矢印を最後に。

人通りが多い常盤通りに出てすぐだった。最後の写真のように
多くの人が行き交う場所のチョークの矢印は消えてしまいやすいんだ。
雨も降ってきた。
煉瓦歩道に残る矢印もこの雨で消えるのか。

納得できない私は落とし物を探すようにくまなく探し歩いた。

結局見つけられなかった...


はたしてご老人は意図して作ったのか?
この忙しい東京の雑踏の中で誰かがこの矢印を見つけてそれを追いかけてくるという事を想像しながら道にチョークで矢印を描いていたのか?
単体で見つけてもそれの連続が意味をなしているとわかる人がどれだけいるのか?

「謎は謎のまま」

結局答えはなかった。
私が想像する映画のようなロマンティクな出来事はなかった。
それでもその発見から追尾はドキドキした。
つまらない日常に
こんな冒険ができて最高だった!

ん?
私が最初に見つけたサインがスタートというわけではないのか。

そうだ!最初の発見場所から逆に辿ってみよう!

またワクワクしてきた。
こんな素敵なコミュニケーションをありがとう!おじいさん!

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