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ココロザシナカバ~壮絶な自分史~ 第13話/60話:「4等分のハンバーグ」


【ここまでのあらすじ】
岩手→練馬→川口→浦和→茨城・・・と住まいを転々としてきた阿部家。
父の酒とギャンブル好きが原因で、貧乏で夫婦けんかが絶えない。
家計のために小学生からバイトで稼ぐ長女まゆみ(私)が
好きな人と同じ高校に進んだが、失恋して・・・。




高校を辞めたあと、中学時代に少しずつ貯めたアルバイト代で家から独立し、アパートでひとり暮らしを始めた。 

両親がケンカばかりしている家が嫌でたまらなかったし、父が飯場(工事現場にある簡易宿泊施設)に泊まるとなると、決まって遊びにくるおっさんが嫌いだった。

このおっさんは父の仕事仲間で家族ぐるみの付き合いをしていたが、父の留守中に頻繁に来るようになったので、私としては気持ち悪くて母まで嫌いになってしまった。

ただならぬ仲だということが伝わってくるのだ。



16歳の私は地元の縫製工場に就職した。
ミシンが好きで得意だったが、縫製工場のおばちゃんたちに馴染めず、
転々と工場を変えた。 
  


17歳の時に、母が父の仕事仲間だったあのおっさんと、
とうとう駆け落ちしてしまった。

後で知るのだが母はそのとき身重だった。

その日から毎日父が飲んだくれて暴れるという、どうしようもない状態になり、私はきょうだいたちを自分のアパートに避難させた。

そんな弟や妹の世話と生活費のために、私は昼と夜、仕事を掛け持ちして働いた。
当時、中3の弟・中1の妹・小5の妹・小1の弟がいたが、母は中1の妹だけをそそのかして連れて行った。


唯一、あのおっさんに懐いていたからだ。


だから私と残り3人のきょうだい、合わせて4人は置いて行かれることになった。


私は昼は縫製工場、夜は年齢を18歳と偽りスナックでアルバイトをして稼いだ。
家賃や食費だけでなく、きょうだいの学校給食費や旅行積立も稼がなければならかった。
1つのマルシンハンバーグを4人で分けるというような日もあった。
ひもじい食生活だったけど、両親の怒鳴り声もせず、
とにかく安全で穏やかな日々を過ごした。

ただ、一番下の小1の弟は、夜になると母を恋しがった。

でも泣くと姉の私が悲しむからと、泣き声が漏れないように布団に頭を突っ込んで泣く。
その優しい男前っぷりが、余計に悲しかった。

どんなに頑張っても母にはなれない悔しさと虚しさで、私にとっては永遠に感じるほど、夜はいつも長かった。

私のアパートには友達が代わる代わる遊びに来た。

大家さんと「絶対にたまり場にしない」「問題を起こさない」という約束で借りたアパートだったけど、隣のおばさんに何度も通報されて、大家さんをずいぶん心配させた。

暴走族・酒・シンナー・恐喝・ケンカ・窃盗・・、やりたい放題。


補導された回数は覚えられないほどだ。


つづく

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